電話の向こう、俺の背後から鼻をすする音が聞こえる。
足元には誰かが捨てた煙草の吸殻が散らばっていた。
『今まではそうだったかも、しれないけど。あの時のリーチは違った。トモと練習してる時のリーチは違ったよ』
泉水先生に言われたことがやっと理解できたあの日。
俺も変わることができるんだと飛び跳ねそうな気持ちで指を動かしたあの日。
『アタシ、見たもん。2人の練習、ちゃんと見た。リーチはすごく楽しそうだった。ピアノが楽しくて仕方ないって顔で、笑ってたよ』
我慢していたものがふつりと切れた奏の声に嗚咽が混ざる。
『もう一回、そうは思えないの…』
足掻いて、溺れて、行き詰って、窒息して。
苦しいことばかりだった。
楽しいことなんて数えるほどしかなかった。
『アタシ、この前沢渡に…、歌花(ウタカ)って言うんだけど、歌花にめいっぱい自慢したんだよ。リーチの演奏、すごく綺麗で楽しかったって。
自慢した、のに、なのに、もう無理なの…?』


