赤く充血していたけれど、奏の目は俺の目と同じく涙をこぼしそうにはなかった。

その色は俺に対する怒りの色なのかもしれない。


「弾けばいいんだよ、無心になるぐらい。弾かなきゃいけないんだよ!だって、アタシは…っ」

それまですらすらと動いていた口が急に動きを止める。

悔しそうに歯を食いしばって俺を見上げ、それでも俺がまったく動じないのを見て真っ青な爪を強く噛んだ。


切り取られた小さな夜空に浮かぶ月に、奏の歯型がくっきりと残る。

「…もう、いい。リーチの好きにしたらいい」

悔しがりたいのは俺の方だった。

あんなに弾きたい気持ちがあったのに、今ではそれがどこから出てきたものなのか見つけられない。

見つける気力も、無い。


遠ざかる足音を聞きながら、俺は空を仰ぐ。

白く辺りを包んでいた朝霧がすべて俺の胸に吸い込まれるように晴れていく。


何もかも捨て去ってしまいたくて、早く来たにも関わらず俺は帰路を急いだ。