部屋に一歩入った所からなかなか動けない俺。
あんなに渇望したピアノは目の前にあるのに、あの椅子に腰かける勇気がない。
あそこに座って何をするつもりなんだ。
自由曲を決めて、練習して、どうするっていうんだ。
一番俺の優勝を喜んでほしかった人は、音楽とは遠い世界に行ってしまった。
ずっと一緒にピアノを続けていきたかった浅葱も、ずっと側で俺の演奏を聴いていてほしかった若菜も、誰もいない。
一人で突っ走って、後ろを振り返ってみれば誰もいなかった。
俺一人だった――。
「わかってるよ…!!」
知ってる。
わかってる。
誰も付いてきてくれる人なんていないってこと。
独りきりでやっていく覚悟はできていたはずなのに、それもこんなに簡単に崩れそうになる。


