あれから1年が過ぎた。


マスメディアは、僕達の行動を何処かのカルト教団のように扱い僕達は、可哀想な被害者と言う見方が大半だったが中には、綿密に取材して次郎の行動を本にする者も出てきた。



僕達に関する本や雑誌の特集は、沢山出た。



テレビも一時期は、僕達の話題で持ちきりだったがどれも山中次郎と可哀想な人々と言う報道だった。



綿密な取材を行った本でさえその姿勢だった為に僕達は、取材を拒否した。



特に我々は、積極的に次郎と共に戦ったとも言わなかった。


驚いたのは、愛弓に芸能界からの誘いがあった事だった。



これに対して河田がまるでずっと昔の飛行機墜落事故の生存者の女性に芸能界からの誘いがあったのと一緒だなと嘆いた。



愛弓は、当然断ったし今は夜の仕事を止めて、工場に勤めながら夜間高校に通っていた。



大学に行くかは、分からないがある程度の知識は、見に付けたいと言っていた。


次郎さんの嫌いな偽インテリには、ならないからねとも笑いながら言っていた。


河田も和美も上島も元の仕事に戻った。


僕は、上島の誘いで上島の会社の日雇い作業員になった。



上島は、社員になれと言ったが僕は、次郎のように日給制で働く方を選んだ。