前略、肉食お嬢様②―カノジョな俺は婿養子―




「空さまっ、逃げましょう。車が炎上しています!」


えん、じょう。
 
脳内で変換するけれどすぐに漢字が出てこない。どういう字を書くっけ。

ようやく彼女の出した漢字と状況が一致する。

車の向こうでオレンジ色の光が不安定にゆらゆらと揺れている。


火事?
いや車が燃えているんだ。

きっとぶつかった拍子にエンジンが物と衝突。

ガソリンが漏れ出して火を噴き始めた、というところだろう。
 

軋む首を動かし、視線を前部席に向ける。

そこにはグシャグシャにフロントガラスが割れ、人間がシートと車のボディでサンドイッチされている凄惨な光景が待っていた。

助手席はぺしゃんこ。
運転席ではエアバックが発動し、白いクッションが人間を守ろう守ろうと必死に働いていた。

二人の顔は窺えないけれど、彼らはもう手遅れなのだと思う。

ぴくりとも動いていない体といい、滴っている血といい、微かに垣間見える首の不自然な位置といい……トラウマがまた増えそうだ。
 

「さと子ちゃん、けがは」


視線を戻す俺に、「空さまよりマシです」自分は擦り傷程度だと涙声で答えた。

言葉通り、彼女に目立った外傷はなさそうだ。
また相手のくしゃっと歪んだ顔を見る限り、俺は目立った外傷を負っているらしい。

自分では気付けない。
体の神経が麻痺しているのだろうか?


「体、起せますか?」

「うんっ。なん、とか」


立ち上がるべく足に力を入れた。

脇に入り込んださと子ちゃんが手を貸してくれる。

「早くっ、逃げないと」

炎が車を包み込んでしまう。半泣きのさと子ちゃんに相槌を打った。
 

けれど上体を起こせない。起こすことが困難なんだ。

原因は左足。
視線を流せば、ひしゃげた助手席の下に俺の足が挟まっている。

衝撃の際、足が入り込んだようだ。

「くっそ」

左足を引き抜こうと腹筋に力を入れた。

でも抜けない。
座席が歪んでいるせいで抜けるスペースが狭まっている。

どうしても抜けない。


さと子ちゃんが気付いて、俺の足を引き抜こうとする。


けれど非力な彼女じゃ力不足だ。

足を引き抜くことも、助手席を動かすことも、俺の体を強引に持ち上げることも、難しい。 
 

がくんと視界が揺れ、車内がやや傾斜になった。

傾斜と自重により左足が座席の下にのめり込む。


何が起きてっ……。
 

「空さま。この車、ガードレールから突き出ているようです」


どうやら暴走車はカーブを曲がりきれず、道路標識とレールに衝突したようだ。
 
突き出た先に川があるらしく、このままでは共に落ちてしまうとさと子ちゃんが泣きべそを掻いた。


ああもう、次から次に大ピンチ。

今年は厄年なのかなぁ。
俺、一度お払いをした方がいいのかもしれない。

受け男になってから運気が落ちている気がするよ。
 

立ち上る煙と火の粉により、咳き込んでしまう。

燻る車内をどうにかしようと、彼女が車の扉を開けた。


ドア枠が見る見る炎に包まれていく。

熱気のせいで向こうの景色が蜃気楼のように揺れていた。


俺の体を支えるさと子ちゃんの横顔を盗み見る。

半パニックになっている彼女が見受けられた。

本当は今すぐにでも逃げたくてしょうがないのだろう。でも俺の足は抜けない。


「にげ、て」
 

此処は危ない。早く逃げて。

さと子ちゃんに頼み込むと弾かれたように彼女がこっちを凝視してきた。
 

すぐに俺も後を追うから、さと子ちゃんは一足先に車から脱出して欲しい。


肩を上下に動かしながら意見すると、彼女はへにゃっと顔を一層歪めてかぶりを振った。いいから逃げろ、自力で脱出できる。

強い口調で命令しても聞いてくれやしない。立ち込める熱気と煙により咳き込みながらも、彼女は一緒に逃げるのだと反論してくる。