「だ、だめ!」
血相を変えるさと子ちゃんが遠い。俺を挟んで必死にその手から逃そうとする。
馬鹿、何しているんだよさと子ちゃん。逃げろって。このままじゃさと子ちゃんまでっ……、ああ声が出ない。
首を圧迫されている。
こんの浮浪者っ、お前は一体なんの怨みがあって俺の首を絞めちゃってくれてんの。
見知らぬ人に殺されてくれるほど俺もお人よしじゃないんだども。
あっぷあっぷしていると上下に視界が揺れた。
エンジンがかかり、軽自動車が発車する。
最初っから飛ばしてくれているらしく、後部席で攻防戦を繰り広げている俺達の体がシートに押し付けられた。
車の進行とは逆の方向に動いてしまうこの現象、中学三年生の理科でならった慣性の法則を思い出させてくれる。
とまっている物体はずっととまっているし、動いている物体は等速直線運動を続ける。
なついねぇ。
うん、現実逃避だよこれ。
「さと子ちゃんっ、豊福!」
車窓の向こう、晴れてきた靄の先でトロくんの姿が見受けられる。
涙目になっている彼は確かに俺達の名前を紡いでくれた。
声は聞こえなかったけど、はっきり届いたよ。彼の呼ぶ声。
耳障りなブレーキは派手に音を立て、逃走する車は駐車している他の車とぶつかりながら出口に向かう。
料金制になっている駐車場ゆえ、精算の遮断機が障害として立ちふさがるものの諸共せず車は夜の街に飛び出した。
金切り声のようなブレーキ音を夜空に轟かせ、軽自動車は一流ホテルを後にする。
限界に近付いていた俺の首から男の手が離れた。
酸欠寸前の体はふらっと前に傾く。体を受け止めてくれるのはさと子ちゃんだ。
大丈夫ですか、しっかり、震える声音で応答を呼びかける。
大丈夫だと相手の肩に手を置き、どうしてこうなってしまったのだと犯人達にガンを飛ばす。
狭い隙間を裂くように助手席に乗り込む浮浪者は、「安心しろ」お前は殺さん。大事な金づるだと肩を竦めた。
……俺は?
なら、巻き込まれたさと子ちゃんは?
反射的に彼女を背に隠す。
ガタブルの彼女は俺の背にしがみ付いてきた。
バックミラー越しにこっちの様子を窺ってくる男は口角を持ち上げ、「信義のガキだな」面影が似てやがる、感想を述べてきた。
信義。
それは俺の本当の父さんの名前だ。なんでこいつが、俺の父さんの名前を。
対向車線を使い、まんま暴走車と化すこの車に幾度となくクラクションを浴びせられる。
ドッドッド、ドッドッド、ドッドッド。
高鳴る鼓動を抑えていると、「裕作もスキモノだな」キャツが語り部に立つ。
悪意ある眼で俺を捉え、まさかあの万年貧乏くんが兄貴の子供を引き取るなんて思いもしなかった。
ガキなんて引き取ったところで家計を圧迫するだけだろうに。
あいつの神経が分からん。
安月給で生活を凌いでいるくせに。
一々俺の神経を逆撫でる言の葉を羅列するその浮浪者は、相棒から程ほどにしとけよ、と窘められていた。
片割れから、「濱」という名前を聞いた瞬間、愕然としてしまう。
濱。
忘れもしない名だ。
そいつは俺の父さんの従兄弟であり、ろくでもない人間として親戚から疎んじられていた。
その男の名義により、いつの間にか連帯保証人にされてしまった父さん。
俺達豊福家が借金地獄を味わう羽目になった元凶。
そうか、お前がっ、お前が父さんの従兄弟っ!
俺達に借金を押し付けた張本人っ!
「お前がっ、濱っ……どーりで父さん達のことを知った口振りで話すわけだ! よくもっ、よくも俺達家族を貶めたな!」
「おっと」掴みかかろうとする俺の眉間に無機質な物体が押し付けられる。
過去にもお目にかかったことがあるそれ、引き金を引けば一発でお陀仏になるであろうチャカと呼ばれる凶器にさと子ちゃんが悲鳴を上げそうになった。
けれど激昂している俺には通用せず、「撃てばいいだろ!」早く撃てよ! 撃っちまえクソ! 挑発して相手を煽った。
「そ、空さま駄目です!」
背にしがみ付くさと子ちゃんが胴に腕を回し、必死に止めてくる。
けれど何も目に入らないほど俺は怒り心頭していた。



