前略、肉食お嬢様②―カノジョな俺は婿養子―



声なき声でありがとうの五文字を紡ぎ、玲も腰を上げた。


蘭子の後を追うように控え室を出ると能面に表情を変え、彼女が向かったであろう会場とは反対の方角に足を伸ばす。

少しくらい主役が遅れても構わないだろう。

自分に至っては準備に手間取った、で話が終わる。


かつかつと履き慣れないヒールを鳴らし、エレベーターに乗り、【△】ボタンを押して玲が向かう先。
  
 

最上階一室、和室スイートルーム。
 
今宵、自分達が身を預けるその部屋のカードキーを通し、玲はそっと扉を押し開けた。

明かりを付けるとやたら広い畳部屋が二部屋、顔を出す。

一部屋は八畳、もう一部屋は六畳ある、広いひろい一室。


この部屋の従業員は大層仕事が早いらしく、既に床の間となる六畳部屋には敷布団が敷かれていた。


ヒールを脱ぎ、それを靴箱に置かず、手に持って部屋に上がる。

二人分の敷布団に目を落とし、

「気が利かないね」

ここは一人分のみ敷いてくれるものなのでは? 玲は肩を竦める


床の間から居間に足先を変える。

短脚テーブルに着くため、そこに歩んでいたのだが、途中で足を止めてしまった

四隅に積まれている座布団の一部が不自然に盛り上がっている。

昼間は彼が部屋にいたため、そのことに気付く余裕がなかった。


スルーすれば良い話なのだが、なんとなく目を引いてしまったため、ヒールを畳に置き、おもむろに積まれた座布団を捲ってみる。

茶色い紙袋が出てきた。手にとり、口を開いて中身を確認。


数秒後、玲の能面が見事に崩れ、おおきな笑声が一室を満たした。

 
「豊福はほんっとっ、馬鹿生真面目で可愛いな。くくっ、勉強していたのか。ちゃんと準備までしてきているし」
 
 
まさか博紀が用意した、などとは露一つも思わないだろう。

「この本で勉強していたのか」

ぱらぱらっと実用書の中身を捲り、また笑声を漏らす。

本は挿絵付きだ。
絶対に赤面し、自分にはできないと身悶えていたに違いない。

そりゃそうだ、彼は生粋のヘタレなのだから。
受け身にはなりたくないような節は垣間見えるが、残念、自分は攻め身であり、攻め受けの相性は最良である。

これは今宵が非常に楽しみだ。

どれほど勉強できたのか、少々弄くってやってやりたい。
 

「ま、どう勉強しても僕が上なんだけどね。ごめん、豊福」


リード権は譲らないよ。

ぱたんと本を閉じ茶色い紙袋に本を仕舞う。

彼の名誉のために(そしてネタにするために)、座布団の下にそれを戻し、ヒールを持って今度こそ短脚テーブルへ。


ドレスに皺が寄らないよう細心の注意を払いながら、その場に正座してテーブル上に視線を留める。

テーブルには複数のカゴが置いてあった。

昼間はなかったものである。
覗き込めば、誰とも知らない鞄だったり、ポーチだったり、携帯だったり、私物がひしめき合っている。
 

カゴには番号が振ってある。

数字を確認するまでもなく、玲はそのカゴから一つのスマホを手に取った。

右のヒールを静かにひっくり返す。

小さなチップが出てきた。
本当に小さなチップで、それは爪ほど。

綺麗な正方形をしている。


玲はスマホのバッテリーカバーを開け、それをバッテリーと本体の隙間に挟んだ。

たったこれだけの作業。
されどこれほどの作業。


玲の指先は軽く震えた。

邪念を振りきるようにカバーを元の位置に戻した。
 


「―――…今から祝われる主役がこんなところで何をしているのだ?」
 
 
    
前触れもなしに聞こえた声はやけに平坦だった。

心臓を鷲掴みにされたような感覚に陥るが、すぐに冷静を取り戻す。


ぱちんとカバーを閉め、


「覗き見とは悪趣味だね」


あくどい笑みを浮かべて顧みた。

いつからそこにいた? ちゃんと扉を閉めたことは確認したのに。部屋の入り口に目を向ける。
 

そこにはイブニングドレスを身に纏った好敵手(ライバル)が腕を組んで壁に凭れていた。

憮然と肩を竦め、

「カードキーくらい」

コネを使えば幾らでも入手できる。

所詮この世は金で動く社会なのだ。
憮然と言葉を返す鈴理にそうか、と素っ気無く返した。


同意に値する意見である。