前略、肉食お嬢様②―カノジョな俺は婿養子―


 

カッチカッチカッチ。


一刻一刻が過ぎていく。

長い針と短い針の間でリズミカルに音を奏でている秒針は、着実に婚約式の時間を刻んでいく。

耳障りにすら思えるカッチカッチカッチ。


今こうして物思いに耽っている間にも、カッチカッチカッチ、カッチカッチカッチ、カッチカッチカッチ、何秒経っただろう?


控え室の片隅でぼんやりと宙を見つめていた俺は、ふと思い出したように手中の紙コップを口元に運ぶ。

緑茶の渋みが口いっぱいに広がった。

でも気は紛れない。


傍で書類に目を通している博紀さんに視線を送る。

真剣にそれを読んでいるお目付けだけど、俺の視線には敏感に気付くらしい。

顔を上げてこっちを見てきた。


「どうしました?」声を掛けられ、俺は弁解として緊張してきたのだと苦笑いを浮かべてみせる。
 

「頭が真っ白になりそうなんっす。ヘマしちゃいそうで。それが怖くて」

「大丈夫です。ご挨拶等はすべて会長と源二さまがされますので」
 

それはそうなのだけれど。

「あーもうヤダ」紙コップを端に置き、テーブルに伏せてギブポーズを取る。

庶民出身の俺だぞ? 財閥の子息のような煌びやかなオーラなんて一抹も放っていないんだ。祝福してくれるであろう皆の目に畏怖の念を抱く。


立ち振る舞いをこの一週間で徹底的に叩き込まれたけれど、緊張したら棒のように突っ立つだけになりそう。

ああやだやだ。胃が口から出てきそうだ。

 
「あ、博紀さんは傍にいてくれるんっすかね? 挨拶の時」
  
「ええ。ボディガードとしてお傍にいますよ」


「なら、その、ヘマしないよう見といて下さいよ。俺、右も左も分からない小僧っすから。今、頼れるのは博紀さんしかいませんし」
  

監視されている今、俺のヘマをサポートできるのはこの人しかいないだろう。

縋る気持ちで相手に頼み込めば、「はいはい」ちゃんと見ておいてあげますよ。博紀さんが可笑しそうに笑った。


笑い事じゃないとテーブルを叩く。

俺は真剣に緊張しているんっすから! 不貞腐れても相手には効果なし。

笑ってくる一方だ。


ひっでぇの。機嫌を損ねる俺は気付かなかった。

彼が独り言を呟いていたことを。

「僕しか頼れない、ね」意味深な言葉を吐いていたことを。
 

「やはり人は孤独には耐えられない、ということでしょうかね? 子供は染まりやすい」

「え。何か言った? 博紀さん」


「いえ」なんでもありませんよ。博紀さんはニッコリと笑顔を作った。

うんっと首を傾げていると博紀さんのスマホが鳴った。

着信のようだ。
失礼、俺に一言添えて電話に出る。
 

尻目に、俺はふーっと溜息をついて水分を補給する。こんなんで大丈夫かな、婚約式。


「何をしていたんだ!」


と、お目付けが声音を張った。
明らかに怒気が含まれた声。

ドキッとして身を竦めてしまう俺を余所に、舌打ちをして「お前は二度もヘマをしたのか?」クビを切られたいのかうんぬんかんぬん悪口(あっこう)をついている。
  

非常事態でも起きたのだろうか? もう三十分で挙式が始まるのだけれど。

スマホを片手に部屋を出て行こうとする博紀さんの後を追う。

「空さまは部屋にいて下さい」

立ち止まった博紀さんが俺を顧みて命じてきた。


「すぐに戻ってきます。少しばかり、仕事ができたので」


眉を八の字に下げる俺は、「式までには戻ってくるっすよね?」と恐々尋ねた。


たった今、頼れる人がひとりしかいない話をしたんだ。

傍にいてくれないと俺が困る。


赤裸々に相手に伝えると、「大丈夫ですよ」僕は貴方のお目付けですから。

意味深な笑みをおくって扉の向こうに消えていく。