前略、肉食お嬢様②―カノジョな俺は婿養子―



力なく笑みを返し、長居は無用だと止めていた足を動かす。
 
背に衝撃を受けたのはこの直後だ。
ふらついている体には大ダメージである。

前のりになりつつ、どうにか足を踏ん張って首を捻った。

目を見開いてしまう。

なんで、さと子ちゃんが俺にしがみ付いてっ。


「アーッ!」羨ましい、羨ましいで! 豊福滅べばいいんや! トロくんの金切り声もなんのその。さと子ちゃんが泣きそうな顔で見上げてくる。


「お戻りください。空さまっ……、皆、心配しているんです」

「さと子、ちゃん」
 

「玲お嬢様とご一緒に帰りましょう。そして三人でまた厨房でお料理しましょうっ。今度は上手くっ、卵を割ってみせます。だから玉子焼き、教えて下さい」
 
 
約束したじゃないですか。
 
東京を案内してくれるって。上京してきた私のために、地元を紹介してくれるって。

空さまのバイト先に遊びに行きたいですし、トロさん達の体育祭だって一緒に行こうと約束した。

貴方がいなかったらそれすら叶わないじゃないですか。

帰ったら私、空さまに言いたいことがあるんです。

どうしても伝えたいことがあるんです。


だから、だからっ。


「帰りましょう。私達と一緒に」


瞬間、視界の端に影が映った。それが博紀さんの腕だと気付くのに数秒時間を要してしまう。

「さと子ちゃん!」

加減なしに突き飛ばされてしまった彼女に手を伸ばす。

バランスを崩すさと子ちゃんは間一髪のところで、トロくんに体を受け止められた。

ホッと胸を撫で下ろす。
良かった、怪我をしなくて。

トロくんもさと子ちゃんに怪我なくてホッとしているようだ。


大丈夫か、彼女に声を掛けた後、「そこのあんちゃん!」オレの王子様になにしてくれるんじゃい! と声音を張った。

惜しい、此処で姫と言えれば百点満点だったろうに。今日もトロくんは受け男としての意識が高いようだ。
 

「さと子ちゃんにナニしてくれんじゃいワレェ! 胡散臭い顔しよってからに! 自分もさと子ちゃんに苛められたいんちゃうか!」

 
それはトロくんだけだと思うよ、うん。

果たして助けてもらったことに喜ぶべきなのか悲しむべきなのか、複雑な面持ちを作るさと子ちゃんだったけど、好意を寄せている相手に突き飛ばされたことはショックだったらしい。一変して泣きそうな顔を作った。
 
 
ああっ、まただ。また、俺のせいで。
 
博紀さんを責められない。
彼は外部の人間と接触している俺を態度で咎め、命令を忠実に守ろうとしているだけなのだから。
 
追い撃ちをかけてくるように博紀さんがこう口を開いた。


「貴方が命を背くようなら花畑くんの次は、さと子が狙われるかもしれませんね。貴方の行動一つで。誰かの人生を変えてしまうんですよ」


いっちゃん言われたくない言葉にフリーズ。
 
また、誰かの、人生を変えてしまう。俺の行動のせいで。
 
土器で頭を殴られた気分だった。目の前は真っ暗だ。

なんで足掻こうとすればするほど泥沼に嵌るんだろう?


人生って厳しい。
現実ってシビアだ。

うそつき真っ青!
 

「空。聞くな!」


あの金持ちがなんでもかんでも人の人生を変えられるもんか! イチゴくんの怒声が遠い、とてもとても遠い。

―――…そう、俺はうそつき。ここでうそをつかないでどうする。


「俺は、皆とは帰れない。淳蔵様が許してくださるまで、帰れない。許可のない行動はできない。俺は御堂家のものだから」
 

早く此処を出なければ。

畏怖の念に駆られた俺は額を押さえ、ふらふらっとラウンジを後にする。
 
その際、身を張って止めてくれたさと子ちゃんに言った。

「約束はうそだよ」

ぜーんぶうそ、信じたら馬鹿を見るだけだと返す。
友達なんてうそ。あの時はあんまりにもドジを踏んでいたから同情していただけだと苦笑。

もう俺と関わらないで欲しいと切望した後、ぽつりと本音を漏らす。

「立派な舞台女優になってね」
 
「空さま!」背後から聞こえてくる悲痛な叫び。見えない耳栓をしてスルーしよう。

彼女は俺と関わるべき人間じゃない。
さと子ちゃんもまた俺と同じ庶民出身の女の子、財閥の人間じゃないのだから。


「空さまのうそつきっ、うそばっかり! ……っ、そんな顔をして言われても、私は全然傷付かないですからね! 私は貴方のことをっ、大切な友達だと思っていますからねっ!」


聞こえない。何も聞こえない。見えない耳栓をしてスルーしよう。それが今出来る、俺の精一杯。
 
 
 
「そらさまのっ、うそつき。何もっ、できない私の馬鹿」

「……さと子ちゃん。めげちゃあかんで。大丈夫や、豊福に届いているで。さと子ちゃんの気持ち。きっと、大丈夫や」