瞠目して顔を上げると、傍らに立った博紀さんが俺の肩に手を置いてきた。
「正式な婚約式が終わり次第」
貴方は豊福の名を捨てて頂きます。なんぞと言われてしまい、混乱に混乱だ。
豊福の名を捨てるってどういうことだろう。
確かに俺は将来的に御堂家に嫁ぐ。
つまり御堂家の名前を継ぐわけだけど、それでも旧姓として豊福の名前は残る筈だ。
なのに博紀さんは名前を捨ててもらうと言った。
捨てると残るは意味合いが違う。嫌な予感がした。
「七日後、玲お嬢様と挙式をあげ、貴方には庶民の生活の一切を捨てて頂きます。
それまで関わっていた人間、住まい、思い出、取り巻く環境のすべてをリセットして頂くために。貴方は御堂財閥の時期後継者。庶民という環境は枷にしかならないのです」
無論、現在通っている学校は他校へ編入していただきます。住まいは此方になります。人間関係は我々で一切管理させて頂きます。
なにより、豊福の名を捨て頂きたい。
我々にとっても貴方にとっても豊福の名前は邪魔でしかないのです。
金輪際、豊福夫妻と接触することはできないのでご理解を。た
だの赤の他人になるのですから、接触しても損にしかならないのです。
「慈悲深い会長は例の五百万に少しだけ色をつけ、夫妻に小切手を渡すようですよ。良かったですね」
言葉は柔らか、けれど表情は嘲笑が含んでいる。
目を白黒させて食事を止めてしまう俺に、
「貴方の価値は高いですよ」
なにせ男嫌いの“あの”お嬢様を手懐けているのですから。
会長がその価値を逃すわけありません。
どんなじゃじゃ馬でも愛すべき人間を取られたら彼女もおとなしくなりますよ。
「貴方の覚悟は霧散しましたね。まだ借金生活の方が楽だったかもしれませんよ。命令さえ聞いておけば、大好きなご両親といつまでも一緒にいられたでしょうに」
これが俺への罰、なのか。
やたら胃の痛くなる懲罰だよ。鞭を振るわれる以上にシンドイ。
だって俺は両親至上主義者だから。
救いがあるといえば、代価に支払われる小切手なのかもしれない。
本当にお金が支払われるかどうか分からないけど、少しは生活が楽になるんじゃ……、駄目だ。
父さん母さんの性格を十二分に把握しているからこそ断言できる。
父さんと母さんはお金を受け取らない。
どれだけ俺を大事にしてくれるか知っているから。
子供に恵まれなかった両親が身寄りを失った俺をどんな思いで育てたと思ってるんだよ。
生活が苦しくなっても、覚悟の上で引き取ったんだぞ。
婚約の交渉の際だって最後の最後まで顔を渋っていたのに。



