前略、肉食お嬢様②―カノジョな俺は婿養子―



遠目で追いかけっこを眺めていると扉がノックされた。
 

返事を待たずして鍵の解除音、博紀さんのお仲間であろう男がキッチンワゴンを押して中に入ってくる。

夕飯を持って来てくれたようだ。
彼は二人の追いかけっこに目を点。

トムとジェリーのような光景が満目一杯に広がっていることに戸惑ったみたいだ(実質俺も戸惑っている)。
 

博紀さんに声を掛けると、トム役であろう鬼が足を止めて両膝に手を付いた。

荒呼吸を繰り返し、余裕綽々で逃げ回っているジェリーにガンを飛ばすと部下にさっさと食事を並べるよう命じる。


可哀想に、憤怒を当てられた部下さんは身を萎縮していた。

見るからに博紀さんの方が若いのに顎一つで人を動かせるなんて、それなりに博紀さんは実力者なんだろう。

会長と呼ばれている淳蔵さん直々に命を受けるってことは、絶大な信用を買っているということだよな。


夕飯はちゃーんとイチゴくんの分まで用意されている。

逃げ回っていたイチゴくんは豪華な食事に一変してご機嫌。


「うっわすげぇ!」


テーブルに並べられる料理の数々に目を輝かせ、ソファーの背もたれを飛び越えるとつまみ食いなんぞ少々。んにゃ多々。


うましうましと声を上げるイチゴくんは、俺に早く来いと手招きしてきた。

まさしくやりたい放題である。
溜息をつく俺の傍らで片眉根をつり上げる博紀さんは、「あれは台風の子ですね」恐るべき人害を持つ疫病神だと褒め、いや、愚痴ってきた。
 

「彼のやることなすこと被害ものですよ。まったく、どれほど時間がロスしたか。空さまも彼に振り回されないようお願いします。
って、花畑っ! いつまでつまみ食いをしているんだい! マナー違反だ!」


もはやイチゴくんのことを呼び捨てである。優男の仮面もクソもない。
 

「いいじゃんケチくせぇ」


アンタは俺のおかんか、シッシとあしらうイチゴくんに博紀さんが人知れず舌打ちを鳴らす。

本当にマイペース男と二重人格男の相性は最悪のようだ。
 

腹減ったと騒ぐイチゴくんに催促され、テーブルに着く。
 

本日のメニューはフランス料理。

事細かな料理の名前は分からないけれど、目の前に置かれたナイフとフォークに俺は肩を落としてしまう。
 

洋食って嫌いなんだよな。料理自体は好きなんだけど、ナイフとフォークといったマナーが出てくるからさ。

ロッテンマイヤーさんにどんだけ厳しく躾けられたことか。コースになったらマナーが一段と厳しくなるし。

おかげさまである程度のマナーは身に付いたと思うけど食事をしているって感じには思えないんだよな。

博紀さんがそこで見張っているし、下手なマナーはできない。


気鬱を抱きながら銀のナイフとフォークを手にし、目前の牛テール赤ワイン煮込みに「あんれ。空、まだ食ってねぇの?」
 

「この牛肉超美味いのに。体調不良か?」


マナーも何もなく牛肉を咀嚼しているイチゴくんの雄々しい食べっぷりに、俺は不意を突かれ、次の瞬間笑ってしまう。

ほんっとイチゴくんと一緒にいると心が軽くなるよ。

マナーを気にしていた自分が阿呆らしく思えるもん。笑う俺の隣ではやーっぱり博紀さんが溜息をついていたり。
 

結局、俺もマナーを気にせず食事を始める。

せめて友達と一緒にいる時くらいは素でいたいんだ。

どんなにマナーを叩き込まれても、財閥の子息候補であろうと俺の生まれは庶民。育ちも平民。平々凡々の男子高生だ。


高貴な財閥界で生きていくにはまだまだ不似合いの子供なんだよ。


博紀さんがいなければ美味しい食事を心行くまで堪能できたに違いない。
 


 
「空さま。会長のご命令が下りました。七日後、正式な婚約式を開くそうです」
 


 
フォークをサラダに伸ばしていた俺の手が止まる。
 
婚約式? いつ誰の婚約式をするって?