前略、肉食お嬢様②―カノジョな俺は婿養子―




鋭利ある針でシャツを刺し始める久仁子に、裕作は三点リーダーを醸し出した。

女の怒りは粘着質が高いものである。

 
ああ、それと、どうでもいいがそのシャツは自分のシャツなのでは?

穴が開かない程度に刺して欲しいと願わずにはいられない。
 
逆鱗に触れないよう言動には気を付けよう、裕作が思っていると電話が鳴った。


ハタッと我に返った久仁子が針刺しに針を戻し電話に出る。
 

時刻は十時半、こんな時間に電話をしてくる相手は一人しかいない。
 

「あら空さん」


久仁子の弾んだ声が裕作の鼓膜を振動した。
やっぱり、微笑を零して肩を竦める。

どうやら息子が自分達のことを心配して電話をしてきたらしい。

いつものことだ。
驚くべきことではない。

ちゃんと食べているか、寝ているのか、と聞かれたのか、「食べて寝ていますよ」貴方に怒られてしまいますからね、嬉しそうに妻が返している。
 

受話器が裕作に回ってきた。
 
 
箸を置いて電話に出た裕作は、元気かと息子に尋ねる。
 
『元気だって』大丈夫だよ、変わりない息子の声が届いて裕作は安心した。

妻にはああ言ったが、裕作も平日の息子の様子が気掛かりだったのだ。元気そうならなによりだ。
  
「玲さんとは上手くやっているかい? 婚約しているとはいえ、軽はずみなことは避けるんだぞ」

『俺をなんだと思ってるんだよ父さん! 俺はしないよ……、俺は』

俺、は?

裕作は些か不安を抱いてしまう。それは裏を返すと相手はする、ということなのだろうか?


『それよりも、ちょっと日程を聞いてもいい? 源二さんがまた食事会したいらしいんだ』

 
やや焦った声音で話題を切り替える空に便乗し、「食事会を?」裕作は内容を聞き返す。


『うん。なんでも親睦を深めたいんだって。この前の食事会はゆっくり話しもできなかったから、どうですか? って源二さんが言っているんだけど』

「親睦を? そうだな。以前の食事会は談笑という談笑もなかったし。母さんにも伝えておくよ」

『ありがとう。源二さんや一子さんも喜ぶよ』


『ちなみにいつ頃を予定『うひゃあ!』……、空?」

 
突然聞こえてきた悲鳴に裕作、硬直である。

『あ、ごめん』なんでもないよ、と息子が言ってきてくれるが、次の瞬間、またもや悲鳴。


『変なところ触らないで下さいって!』『君の腰がここにあったから』『親と電話中なんですけど!』『素敵な声を聞かせられたな』『ひ、酷いっ、あ、だから』『電話はいいの?』『泣くっすよ俺!』『鳴くだろ?』『もうやだ先輩!』


………。
 
ギャーギャー聞こえて来る受話器に遠目を作った裕作は、ぎこちなく久仁子と目を合わせる。

「久仁子。婚約に不安を覚えてしまったよ……、孫をこの腕に抱く日も早いかもしれない」

「……おばあちゃん、と呼ばれる日も近いんですね」

「……あの様子じゃ空は奥さんに敷かれるタイプだな。あっちの意味でも」
 

「え?」

「いや、なんでも」


沈黙が下りる。

相変わらず受話器から聞こえる声は喧(かまびす)しく、テレビから流れるバラエティ番組は観客の笑声で満たされている。

その異様な空間の中で、大変な誤解をしてしまった豊福夫妻であった。