「できました」
チョークを置いて飯塚に視線を送ると、「よし」正解だと上から目線で返事し、席に戻っていいと指示してくる。
踵返して席に向かう。
その際、自分の首筋を軽く触った。この辺りには紅い痕が咲いているだろう。
制服に隠れるか隠れないか、ギリ見えるか見えないかのラインに先輩が痕を付けてくるようになったんだ。
俺が深い眠りについている頃を狙っているんだろう。俺の知らぬ間に痕が花開いていた。
歯を磨いている時に気付いて、思わず口の中の歯磨き粉を呑みそうになったよ。
大慌てで御堂先輩を詰問したら、ケロッとした顔で「可愛いぞ」と口説いてきた。
なあにが可愛いよっすか!
人の意識がない間に好き放題してからにもう。だから別個に寝るべきなんだ。
けど俺は居候させてもらっている身の上だから、他の部屋に移動することは出来ない。
御堂先輩を部屋に戻すしかないんだ。婚約者はちーっとも言うこと聞いてくれないし、どうしたものか。
無事に数学の授業が終わる。
課題増量の危機はどうにか免れたので良かったと思う。
次の授業は移動教室だ。
準備をしていると、「悪い悪い空」お前には助けられたとアジくんが片手を出してきた。
隣に並ぶエビくんが「君のせいで危機だったよ」ただでさえあいつの課題は多いのに、と愚痴を零している。
「しょーがないじゃんかよ」空が悪い。首に目立つ痕を付けているんだから、とアジくんが肩を竦めてくる。
「痕?」エビくんが覗き込んできた。そしてなるほど、と納得。お熱いね、とからかってきた。
「御堂先輩と随分仲良くやっているみたいだね。良かったじゃないか、次に進めているみたいでさ」
「そうだぜ。お前も、もう前に進む時期だったんだ。色々苦労あると思うけど、気楽にいけよ」
大破局をした当時の俺を知っているフライト兄弟が今度こそ純粋に恋愛を楽しめよ、と励ましてくる。
彼等には婚約とその裏事情を話している。
変に隠し立てしても付き合いにくいから(だって婚約しているって公言はしているし)、全部を打ち明けておくことにしたんだ。
財閥界に無縁で且つ、親しい二人にだったら話してもいいって思えて。
鈴理先輩達に一件がバレたのも理由の一つに挙げられると思う。
五百万の借金を背負っていることを話した時には大いに二人を困らせてしまったけれど、すぐに学校はやめんなよ。連絡先は教えておいてね。等など、フライト兄弟は明るくおどけて湿気た空気を飛ばしてくれた。
アジくんなんてさ、勝手に消えたら許さないからな。
この先、何かあったら絶対言えよ。
飛んできてやるから! とか言ってきてくれたんだぜ?
超男前! 何この人、イケメンすぎて眩しい! 俺は男前くんに羨望を抱いたよ! いっそのこと崇めようかと思ったね!(そしてちょっちエビくんがひいていたのは余談にしておく)。
「ったく、あの頃に戻ったよな。お前のそれを見ていると」
「そう言ってあげないの。彼は幸せな証を貰っているんだから」
二人は散々人のキスマークを弄くってくる。
恥ずかしかった一方で、本当にそうだと同意した。
鈴理先輩と付き合っていた時は、これをどう隠そうか悩んでいた。
それだけ数多くのキスマークを付けられていた日々。
もう戻らないけれど、あの日々も今となっては良い思い出だ。
そして今、ある意味であの頃に戻った。
ただあの頃と違うのは付けてくる相手が違うだけ。
「でも、なんだか鈴理先輩には悪い気がするんだ。彼女のお父さんに支えてくれ、と頼まれていただけにさ」
苦笑いを零してほんの少しだけ弱音を吐くと、「もういいじゃんかよ」お前は充分にやったじゃんか。
俺の机にどっかりと尻をのせて座るアジくんが腕を組んだ。
「そうだよ」エビくんも便乗し、自分のことだけを考えれば良いんじゃないかと助言してくれる。
それはそうなんだけど、さ。
人間って我が儘な生き物で、沢山の人の想いに応えられないと分かっている一方で、誰からも嫌われたくない気持ちを抱いてしまう。
俺もその類いだ。我が儘も我が儘なんだけどさ。