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―――…少しずつ、御堂先輩を見始めている俺がいる。




  
母さんが過労で倒れて幾日、俺の気持ちは随分落ち着きを取り戻していた。
 
俺の知らないところで働きづめの日々を送っていたと知った時には、母さんは勿論、父さんにも実家の生活を詰問。

二人が無理をしていると知ったや否や学校を辞めて働くと大騒動を起こしたけれど(本気で退学届けを書こうとした!)、今はそれも落ち着いている。

 
事情を知った御堂夫妻が息子を思っての行動も体を壊しては元も子もないと諭してくれたんだ。
 
申し訳無さそうに、でも少しだけ反省したのか、もう無理はしないと俺に約束してくれた。……本当に無理しないかどうかは置いておくけど。
 

母さんの容態だけど、今しばらくは自宅で療養。
ちゃんと栄養や睡眠を摂って、医者から働いても良いと言われるまではパート出勤禁止なんだ。

当たり前だよな。これで働きに行きでもしたら、それこそ俺も職探しの旅に出るよ。

 
そんなこんなだから一日に一回は電話を掛けて、母さんの具合を聞くようにしている。

その都度、母さんは大丈夫と答えてくれる。

ちなみにこれは余談だけど、「御堂さんの御厚意は嬉しいのですが」毎日、板前さんが訪問してお食事を作って下さるのは申し訳なくって。空さん、どうにかできませんか? と、毎度相談を持ちかけられる。

どうやら過労には栄養が一番だと判断した御堂夫妻が、わざわざ両親のために板前さんを派遣してくれているらしい。しかも毎日。

これには俺も「……」だったけど、医者から出勤許可が下りるまでは御厚意に甘えさせてもらおうと思う。

御堂夫妻の判断したとおり、母さんには充分に栄養を摂ってもらいたい。勿論、父さんにだって摂ってもらいたい。


その分、俺が夫妻に恩返しをするつもりだ。
出来る範囲は限られているけれど、精一杯のことをしたいと思っている。
  
 
「まあ、空さま。それは我々の仕事ですから!」


とはいえ、家事をしようとすると蘭子さんや博紀さんに全力で止められてしまう。
 
この前だって廊下を雑巾で拭こうとしたら、「御手が汚れてしまいますから!」と博紀さんに血相を変えられた。
 
学校では当たり前のように雑巾を持つ機会があるのだけど、その弁解すら女中の方々は聞いてくれない。

寧ろ「空さまは婚約者なのですから」堂々として下さい、と懇願される始末。大袈裟にも程があるよな。


夕飯の支度を手伝おうとしたら怪我をさせたくないの理由で厨房を追い出されたんだぞ? どんだけお金持ちは過保護なんだよ!
 
結局、俺にできる恩返しは勉強で頑張ることくらいだ。
 

だからって部屋に引き篭もって勉強ばかりしていると、こっちの御家族に心配されてしまう。

遠慮せず、家内を歩き回って良いと二度、三度、四度、源二さんに言われてしまった。

そりゃそうなんだけど、やっぱり人の家を堂々と歩き回るなんて俺にはできない。時間を要しそうだ。
 

そんな俺の気持ちを察してくれているのが、御堂先輩だ。

彼女は何かと俺の部屋に来て、家内を歩く口実を作ってくれる。それは自分の部屋に来ないか、だったり。茶室に行こう、だったり。庭に新しい花壇が造られたから見に行こう、だったり。

 
御堂家の庭園には小さな池があるんだけど、そこに連れてきてくれた御堂先輩と一緒に鯉に餌をあげる経験した。
 
まさか鯉が味噌汁に入れる具の代表、お麩(ふ)を食べるなんて思いもしなかったよ。

手の平にのせられた時は目を瞠ってしまったけれど、それを手中で砕いて放ったら、瞬く間に鯉が集まった。

水飛沫をあげて我先に餌を口にしようとする鯉達の食欲旺盛っぷりにはつい笑ってしまって、すっかり餌やりがお気に入りになってしまった。

 
おかげで最近の楽しみのひとつに鯉の餌やりが増えてしまったくらいだ。
 
部活もしくは習い事から帰ってきた彼女を見計らって、俺から餌やりを誘うこともしばしば。

御堂先輩は自ら部屋に出てくれる俺が嬉しいのか、断ることなく一緒に来てくれる。どんなに疲れていても、だ。
 

俺のために3DSを持ってゲームに誘ってくれたこともあった。
 
致命的な機械音痴ゆえに惨敗も惨敗だったけど(御堂「豊福。弱すぎだ!」)、御堂先輩とプレイしたことは凄く楽しかった。

彼女とテレビを観る。一緒に勉強をする。パソコンを教えてもらう。彼女の部活話を耳にする。実際に、台本を読んで練習姿を見守る。

小さな日常に喜びを感じるようになった。


何気ない時間に一喜する俺がいるのは確かだ。

この人が傍にいてくれるだけで、目前のシビアな現実が忘れられる。


嗚呼、この人を守りたいと思って仕方が無い。

少なからず、友人の枠は超えているんだ。友情以上の気持ちを抱いている。

この人がいなかったら俺は人生を悲観して過ごしていたに違いない。
俺が俺らしいままでいられるのは、すべて彼女のおかげだ。
 
俺の婚約者は男装少女で、ちっとも女性らしくないけれど、それでも。 
 
 
「豊福。蘭子が友人から栗ドラ焼きを頂いたそうだ。僕にくれたのだが、一緒に食べないか?」


この人を少しならず意識し始めているのだと思う。
 
俺の返事を聞く前に一個しかない栗ドラ焼きを割る王子。「食べたいです」自然と笑みが零れてしまうのは、気持ちがあってこそ。
 
差し出され栗ドラ焼きを受け取り、縁側の辺(ほとり)で彼女と共に食べる。他愛も無い会話を添えて。

それだけで幸せだった。
本当に幸せ、だと思うようになった。
 
  
 
「奥方様。玲お嬢様と空さまのご関係は非常に良好でございますね。あんなにも空さまが笑うようになって。これもお嬢様のお力があってこそですね。お嬢様も毎日が楽しそうですよ」
 
「ええ蘭子。やはりわたくしの目に狂いはありませんでした。玲と婚約させて良かったわ。これからどんどん親密になってくれることを期待しましょう」

「男嫌いもなおってくれるかもしれませんしね」

「すべてをなおせなくとも、ああして男性を愛せるようになったことは玲にとって大きなプラスです。いつかは男装をやめ、一女性として振る舞ってくれる日が来てくれるかもしれませんね」

俺達の様子をこっそり見ていた一子さんと蘭子さんの会話のとおり、婚約者の関係は良好だった。