先輩が腰を上げた。
俺は彼女と一緒に行くつもりなんてなかった。
一緒にいれば、また噂になり、婚約の件はどうなっているのかと疑問の声が浮上してくるだろうから。
「また明日。食事はして下さいね」
何気ない挨拶を送ると鈴理先輩は、ブレザーのポケットに入れていたイチゴミルクオレを取り出して「これでも飲むさ」と何気ない返事をしてくれた。
憂いが瞳に宿っている気がしたけれど、気付かない振りをして俺は正門に向かう先輩を見送る。
先輩も決意してくれたのか、一度たりとも振り返ることは無かった。
その手入れされた髪を風に梳かして颯爽と婚約者の下に向かう。
真っ直ぐ、迷うことなく、顧みることなく。それでいいと俺は思った。
第二プール館を曲がって姿を消す彼女を見つめ、見つめ、今しばらく宙を見つめた後、俺はその場に寝転んだ。
視線を持ち上げれば木漏れ日が俺を優しく見下ろしている。
木の葉と葉の間から零れる光は目に痛いほど眩しい。
直視できないほど眩しくて綺麗だ。
揺れる視界を瞼の裏に閉じ込め、俺は片腕で顔を隠した。
明るく振舞えていたと思う。
上出来だ。
受け男もカッコつける時はつけられるじゃんかよ。二重丸だ。花丸ってほどじゃないけど、俺なりにしちゃやってやったって気分。
だけど、あー、やっばい。キスをすればするほど、触れれば触れるほど、渇望が強くなる。
人間って手に入らないと思った瞬間、その貪欲さをいかんなく発揮するんだろうな。
触れたかった、もう少し、もうすこしだけ(いやもっと)、先輩に触れたかった。心身に共に。
「馬鹿みたいに欲情してるじゃんか。俺の阿呆」
木漏れ日を浴びている俺の片頬にツーッと雫が流れ落ちた。
それは自分でも気付けない、切な感情が篭った雫だった。
「……空」
正門に向かった筈の人影が第二プール館の壁際で佇んでいることなんて、俺は知る機会も得られなかった。



