【御堂家の茶室にて】 



仄かに香る畳部屋はいつ来ても気が落ち着くものだ。


こうして畳の上に腰を下ろすだけでも、心地良い香りが己にリラックスを与え、穏やかな気持ちのあり方を諭してくれるよう。

日々時間に追われ過ごしている現代人に時間の本来の過ごし方を教えてくれるこの部屋は、まさしく憩いの間。


御堂 玲の父・御堂 源二(みどう げんじ)は持ち前のちょび髭を触りながら、静まり返っている茶室で気を休めていた。

傍では彼の妻・御堂 一子(みどう かずこ)が茶筅(ちゃせん)で軽く音を奏でている。


シャッシャッシャ、茶を掻き立てる着物姿の妻を黙然と眺めるのも、また良いものだと源二は思う。

互いに会話はなくとも妻と茶室で二人きり、こうして水入らずの時間を過ごせる。

愛すべき人と過ごす時間はなによりかけがえのないもの。

妻の横顔、ひとつに結われた緑の黒髪、美白のうなじ、どれを取っても見惚れてしまう。年月を重ねるごとに、その美は深まりを増している。

源二は限りない惚気を胸に抱いた。


茶筅を立て、茶碗を持って源二の下にやって来る一子。


「どうぞ」そっと正面に茶碗を置き、一礼して柔和に綻んでくる。

目尻を下げる源二も一礼を返し、「お点前(てまえ)いただきます」と挨拶。

茶碗を右手でとり、左手にのせ、右手を添えると、茶碗の正面を避けるために、ふところ回しに二度まわして、向きを変える。

そして茶碗を傾け、薄茶をいただく。


身内だけのお茶会のため、作法も程々に源二は茶碗を下ろして、「さすがは一子だ」ようやく口を開き、静寂を裂いた。


「誰よりもお前の薄茶が美味い。ホッとする」

「ふふっ、貴方様はいつでもお口がお上手ですね」


これはお世辞ではない。本当のことを言ったまでだ。妻に勝る薄茶があったものだろうか。夫婦で嗜む茶会は本当に良いものだ。


源二は微笑を浮かべ茶碗を回して残っている薄茶を眺めていたが、心に一点に曇りが現れ、重々しく溜息をついた。