それにここは大都会なので、田舎町とは違い、地味な類の家族葬などが多いものと思われる。


 別に死んだときぐらい、人間は何もかもから解放されたいだろう。


 この世の中自体、垢(あか)に染まらないと生きていけないのがホントのところなのだから……。


 だけど、そのうち徐々に怖くなる。


 何か重大な理由があって理恵子は自殺Tubeのソフトをケータイに落とし、それで自身のリストカットシーンを撮ったはずだ。


 なぜ、そこまでしなければならなかったのか……?


 何も死ぬときぐらい、安らかに死にたいのが本音だろうに。


 彼女はあえて自殺という選択肢を選び、更にそのワンシーンを撮って全世界に配信した。


 てっきりもうあのソフトは市場から姿を消したものと思われたし、パソコンやケータイ、端末などにダウンロードしていた人間たちも使うことはないものと思われたのだが……。


 身近なところでも恐怖が進行していた事実に愕然(がくぜん)とする。


 だけど、死んだ人は帰ってこない。