はぐれ雲。

杖をつきながら、神園は部屋をゆったり見て回った。

「今日はアメリカから娘夫婦が帰ってくるんでな、一番いいこの部屋をとった。四歳になる孫娘も一緒でな。今夜はここで久々に会う」

嬉しそうな、街角でよく見かける普通の祖父の顔をしていた。

「みんな俺を怖がって口を利くことでさえビビるのに、孫はたいしたもんだ。俺にままごとをさせる。歯を磨けだの、好き嫌いをするなだのと指図する。まるで母親気取りだ。毎回参るのは、どうしておじいちゃんの指は短いのって聞くことだ。こればっかりは返答に困る」

神園、亮二共に口元を緩める。

「亮二。俺がさっき言った覚悟があるなら、今夜9時にここへ俺を迎えに来い。ただし、ここに来るということは、何もかも断ち切ってくるということだ。できるか、おまえに。
それができるのなら、俺はおまえに大きなチャンスをやる」

「……」

「返事は、今夜聞こう」

そう言うと神園は再び背を向けた。

「娘たちが到着するまで、少し休む。
もしここに来る気があるのなら、孫娘にどうして俺の指が短いのか説明してやってくれ。
妻も娘も、これには困り果てていてな」

話はそれだけだ、と言わんばかり、杖で部屋から出るように亮二に指示した。

彼は丁寧に頭を下げると、玄関に向かう。

しかし、ふと思い出したように振り返ると、遠慮がちに口を開いた。

「ひとつだけ、教えていただきたのですが」

「なんだ」

「その女性とはその後どうなったのですか」

神園はゆっくりとソファーに腰掛けると、目を閉じた。

「何年かして、地位を手に入れた俺はその女を探して会いにいった。
結婚してたよ、当然だがな。
ただその相手が、俺へのあてつけのように思えた。その相手というのが…」

彼は、ため息混じりにこう言った。

「…刑事、だったよ」

亮二はもう一度頭を下げると部屋を出た。


毛足の長い絨毯が敷き詰められた廊下を、大股で歩いていく。

次第にそのスピードがあがる。

同時に締めていたネクタイを乱暴に取ると、その手を振り上げた。

先ほどの神園の横顔が忘れられなかった。

勢いよく降り下ろすと、ネクタイはビュッという音をたて大理石の柱を打った。