はぐれ雲。

博子は部屋の窓という窓を開けて、外の凍てつく空気を招き入れた。
床に置いたままの新聞や広告を拾い、洗濯機のスイッチを押し、掃除機をかけ、食器を洗った。

半日かけて散らかった部屋を片付け、夕飯を作り、達也の帰りを待った。

もう彼の帰りを、時計を見ながら待つことはしなかった。
いつまでも待つ、日付が変ろうとも、太陽がまた東から顔を出そうとも、彼がここに帰って来た時から、全てが動き出すのだから。

博子は一人、ダイニングに腰かけ、彼を待った。

時計の針が夜の10時を過ぎた頃、ギイィィィと玄関の扉が錆付いた音を立てた。

達也が驚いた顔で中をのぞいている。

「おかえりなさい」
博子は少し照れたように出迎えた。

「こっちに帰ってくるなら、言ってくれたらよかったのに。そしたらちょっとは片付けたんだけど。酷かっただろ?」

「ええ、まあ。ちょっとびっくりしたけど」

「参ったな。俺一人じゃ何にもできないってバレたかな」

「…今までごめんなさい」
申し訳なさそうにうつむく博子を、達也は抱きしめた。

「帰ってきてくれて、よかった」
夜風に吹かれた彼のコートは冷たかった。

「博子」

「ん?」

達也は優しくこう言った。

「ここ、出ようか。引っ越そう。もっと賑やかなところに。買い物なんかももっと楽になるし、きっと気分転換にもなる」

「必要ないわ」

「でも……」

「私なら大丈夫」
こんな時なのに、弾けるような笑顔が彼に向けられる。

「全然平気よ」

彼は近所の心無い陰口から博子を守りたかった。

しかし、明るく振舞って、これから起きる全ての事に立ち向かおうとする彼女の気持ちを無駄にしたくもない。

「大丈夫だって、心配しないで」

博子は心配顔の達也の頬をつまんで、もう一度笑ってみせた。

「ご飯、できてるわよ」

「ああ…ありがたいな。あったかい食事にありつけるなんて」

そう言って達也は、かばんに入っているコンビニの袋をこっそり奥に押し込んだ。