はぐれ雲。

「あんたが病院に運ばれて手術してる時にね、実は達也さん来てたの」

「…嘘。だってあの時お母さん、達也さんは仕事で来られないって」

「達也さんに言われてたのよ。自分が来たことをあんたに言わないでくれって」

「なんで?!」

博子は母の肩を揺さぶった。

「どうしてそんなこと!」

どうして言ってくれなかったのか。

彼が来てくれていた、それだけで、あの時の心の支えに充分なり得たのに。

「達也さんね、手術室の前で、私たちに泣きながら土下座したのよ」

「…土下座?」


あの日、手術中と赤いランプが点灯していた。

父の恭一と幸恵は祈るような気持ちで、その扉の前に立っていた。

そこに息を切らせた達也が走ってくる。
静かな廊下に彼の足音と息遣いだけを響びかせながら。

「…博子…は!」
やっと出た途切れ途切れの言葉。

幸恵たちが何も言わずに、手術室の方に目をやった。

達也は持っていた上着を落とし、よたよたとその扉に近づくとそっと手を触れた。

その瞬間、赤いランプが消え、扉が無機質な機械音を立てて開く。

「ご主人は?」
主治医の淡々とした口調に
「私です!あの先生、博子、妻と赤ちゃんは…」と達也。

目の前の青い術衣の男が、険しい顔になった。

「奥様は無事です。しかし、手を尽くしたのですが、赤ちゃんは…」


真っ暗な闇に落とされる気がした。


主治医たちの足音が遠ざかると、幸恵がその場に座り込んでしまった。

恭一がその肩を抱く。

達也はしきりに顔の汗をぬぐった。

「そんな…やっと…」

そう口にした幸恵に達也は駆け寄ると、床に頭を打ち付けんばかりに土下座をした。

「達也くん、何を…」

恭一が驚いて彼を抱き起こそうとしたが、それを振り払うかのように、達也は頭を下げる。

「申し訳ありません!僕のせいです!申し訳ありません!」

「違う!君のせいじゃない」

「そうよ、達也さんのせいじゃないわ。顔をあげてちょうだい」