はぐれ雲。

博子は夕食の後片付けをしていた。

達也はテレビ台に置いてあるアヒルのおもちゃを手にとり、キッチンを振り返る。

少し痩せてしまった後ろ姿が痛々しく思えた。

「博子」

手を拭きながら、彼女が振り返った。

「このおもちゃなんだけど…」
少し言いよどむ。

「もう、処分しないか」

「え?」

「もういいんじゃないかな。終わったことをいつまでもひきずるのは…」

「終わってなんかない!」
そう言って博子は必死な顔つきで走りよってくると、達也からおもちゃを奪い返した。

「何も終わってない。達也さんは終わったと思ってる?それとも、もう終わらせたいの?忘れたいの?」

彼女は責めるように問う。

「そういう意味じゃないんだ。ただ…」

「ただ?何?」

達也はうつむいた。
「辛いんだよ、それを見てるのが」

それを今でも大切にしている君を見るのも辛いんだよ、そう言いたかった。

「逃げないでほしいの」

「逃げてなんか…」

博子はおもちゃを抱きしめた。

「あなたはまだ私にも、亡くした赤ちゃんにも向き合ってもいないわ」

「博子」

「あの子の話をしようともしないじゃない。
私と一緒に泣いてくれないじゃない。
辛くても、私はそうして欲しかったのに。
あなたは何も言わなかった。まるで私の中に命が宿ってたことさえも忘れてしまったみたいに!」

彼女は泣いていた。はらはらと涙がこぼれてくる。

その姿を見て、達也はたまらなく自分に苛立った。

泣かせたいんじゃない、悲しませたいんじゃない。

「俺が」
握りしめた手が震える。

「俺が悲しんでいないとでも思うのか!」

目の前には驚いた博子の顔があった。

「君だけが悲しんでいるとでも?辛い思いを、君だけに押し付けているとでも?」

達也の顔も歪む。

「あの子は君だけの子じゃない。俺の子でもあったんだ。俺たち二人の子だったんだよ」

「だからよ、だからこそ二人で向き合いたかったの」

二人の心に言いようのない悲しみが込み上げてくる。

完全にお互いの心がすれ違っていた。