はぐれ雲。


信じられなかった。
彼がこんなことを言うなんて。

「やめてって言ってるでしょ!」

博子は彼の手を力いっぱい振り払った。


途端に、するりと亮二の手が博子から離れる。

そして勢いあまって、「きゃっ」短い悲鳴と共に彼女は後ろへと倒れこんだ。

「博子!」

亮二が膝をつき、驚いた顔で手を差し伸べる。

「おい!大丈…」

その言葉を遮るように、博子は思いっきり彼の頬を叩いた。

乾いた音がトンネル内に響く。

「馬鹿にしないでっ」

亮二を見つめる博子の目から、涙が溢れた。

一粒、また一粒と。

「…博…」

一瞬彼の顔が歪む。

しかし、それには気付かず彼女は立ち上がった。
落ちたバッグを拾い上げると、何も言わずに雨の中に飛び出した。

雨音が彼女の嗚咽をかき消してくれる。

<ねぇ、新明くん。私たちは触れ合ってはいけない。お互いの体のぬくもりを感じてはいけない。あなたもそれはわかっていたはずよ?一時の情に流されてしまえば、ますます過去の思い出の深みにはまってしまう。わかってくれてると思ってたのよ。でも、あなたはそうじゃなかったの?ただ、男と女の関係になりたかっただけ?>


残された亮二はゆっくりと立ち上がると、頬をさすった。

「いってぇな…」と、力なく笑う。

しかし次の瞬間、ネックレスを握りしめた拳を振り上げるとコンクリートの壁に激しく打ちつけた。

「くっそぉ…仕方ねぇだろ」

固く目を閉じる。

それは痛みのせいか、それとも悲しみのせいか。

「こうでもしなきゃ、おまえは…」


その一部始終を物陰から見ていた人物がいた。

リサだった。

彼女の体が雨の中、嫉妬と怒りで震える。