はぐれ雲。

「やっぱり噂どおりだったね。すごくおいしかった」

店を出た博子は、後ろにいる亮二を振り返った。

相変わらず苦虫をつぶしたような顔をしている。

「ね、機嫌直して」

彼女は笑いをこらえながら、そう言った。まるで子どもみたいだ、と思いながら。


そのままふたりは駅前通りに並ぶ店を見て回る。何を買うでもなく、ただブラブラと。

彼が「好きなものを買ってやる」と言ったが、断った。

何もいらない。

ただ、こうして一緒に歩いていてくれるだけでいい。


大きな書店を出たところで「ああ、腹減った」と亮二が声を上げた。

「嘘!まだ5時よ。さっきラーメン食べたじゃない」

その言葉に彼は眉間に皺を寄せて言った。

「ラーメン1杯で足りるわけねぇだろ」

「じゃあ2杯食べればよかったじゃない」

博子もその言い方にムッとして言い返す。

「あーうるせぇ。夜食うものは俺が決める。おまえに任せたら、並ぶわ、腹減るわ、ろくなことにならねぇし」

そう言って博子を見た瞬間、彼女が困ったような顔をしたのを彼は見逃さなかった。

「…今夜は、早いのか?」

明らかに達也のことを聞いている。

「ううん。今日は泊まりって言ってたから…」

「…そうか」
 
達也のことを思った。

常に危険と隣り合わせで、身体を張っている夫を思った。

不規則な睡眠、不規則な食事。

それでも仕事に文句も言わず打ち込んでいる達也。

自分はそんな彼の妻なのだ。

現実を突きつけられたようだった。

亮二と会って、浮かれている自分が恥ずかしい。


「寿司だ」とふいに彼が言った。

「え?」

博子の心にかかった雨雲を蹴散らすかのように、亮二は言った。

「早く来い、寿司だ」と。