Fahrenheit -華氏- Ⅱ


この日に限って、瑠華は19時近くまで仕事をしていた。佐々木も残っている。


今はファイルの中の書類と、何かの分厚いカタログの間で視線をいったりきたりさせ、時折書類にペン走らせている。


いや、普通はこの時間帯、瑠華が仕事していても普通なんだけど、今は心音ちゃんが来てるから早めに帰って行ったと言うのに。


二村が言った19:30と言う言葉に気付いたのか…


そう思ってひやりとしたが、『まだ帰らないの?』とはわざとらしくて聞けない。


後ろめたいことをしているわけじゃないのに、何故か瑠華のその行動の一つ一つが気になる。


19時をちょっと過ぎるとパタンとカタログを閉じ、それから数分で俺のメールに日報が届いた。佐々木の日報もほぼ同じタイミングで届いた。


「部長、すみませんが今日も早く上がらせて…」


「うん、いいよ~」


俺はひらひらと手を振った。顔が引きつってないか不安だったが、瑠華は特に気にした様子もなく、「それでは、失礼いたします」と薄手のコートを手にする。


瑠華が颯爽とブースを出て行こうとすると


「か、柏木さん!」


佐々木が声を掛けた。瑠華が振り返る。目が「何か?」と語っていた。


「あの、この後お茶でも…」佐々木はもごもごと言い、そして顔を真っ赤にさせながら、慌てて手を振り「いやっ!あのっ…もっとアポの取り方のノウハウを聞きたいって言うか…」


瑠華が目を細め佐々木をじっと見て


「すみません!柏木さんも予定がありますよね」と佐々木は頭の後ろを掻く。


「いいえ、少しなら」


そこで瑠華が頷いたのが意外だったが、正直俺はありがたかった。


瑠華のことだから、俺の後を尾けてくる、なんて無粋な真似はしないと思っていたが。


それでも佐々木が良いタイミングで誘ってくれたことに感謝だ。


普段なら、睨みつけるところだが、俺は二人の会話が聞こえなかったフリでキーボードの上で指を滑らせた。


「では部長、お先に失礼いたします」


「失礼しま~す♪」


相変わらず淡々とした瑠華と、スキップしそうな勢いの佐々木が帰っていったのを、ほぅっとため息を吐き、俺は腕時計に目をやった。


時間は19:15を指していた。