「マリア……お嬢様」
なんとか妻の名前をのみ込み、彼女の名前を絞り出す。
「ええ! 覚えていて下さったのね」
飛びあがらんばかりに彼女は喜んだ。
そうしているうちは幼いころの彼女と変わらない。
何度もそう言い聞かせ、胸の鼓動を抑える。
動揺を隠すのに手いっぱいだった。
「あなたは昔と何一つ変わらないのね」
「ええ……まあ……。お嬢様はずいぶんと……おきれいになられましたね」
それでも隠しきれない物が、言葉を詰まらせる。
目の前のマリアは嬉しそうに昔を語っている。
正直、そんな彼女の話など全く耳に入らない。
脳裏にはあの日の記憶が何度も何度も繰り返されていく。
自分の腕の中で感じる彼女の体温。
確実に、急速に奪われてゆく彼女の体温。
途切れ途切れの呼吸。
血が止まらなかった。何度も何度も叫んだ。名を呼んだ。
それでも、もう返事は返ってこなかった。
あの日の事。
妻の命と娘を奪われた日。
人間を、やめた日。
「……レックス?」
「あ、いえ……。失礼致しました」
なんとかマリアの声で現実に引き戻されるも、まだ頭の奥隅ではあの日を繰り返している。
「それにしても、本当に幸せそうね」
そう言って、マリアはフランチェスカの方を見る。
目線の先では、彼女はエリックとの会話をとびっきりの笑顔を浮かべて楽しんでいた。
その笑顔が、レックスをあの日から遠ざけてくれていた。
少しだけレックスに落ち着きを取り戻させてくれた。
「ええ……本当に」
「……」
だが、彼女を見つめるマリアの顔は徐々に曇りだしている。
そんなこともレックスの目には入らなかった。
ただ娘が笑っている。
それだけでよかったのだ。
人間はやめた。
それでも、父親は捨てきれなかった。



