彼女は僕を引き寄せると僕の唇に自分の唇を押し当てる。

そのまま押し倒された僕の上に彼女がのしかかって。


「目は閉じる」


彼女にそう言われて目を瞑った僕は、もう何も出来ず、されるがまま。

甘い匂いに抱かれて意識が飛びそうになった。

頭の中に月の雫が一滴、ぽつりと滴り落ちてきて、脳内のさまざまな物質と混ざり合い、色を変え、そして……、溶けていった。


だけど、もう一滴、今度は僕の顔に落ちてきた冷たい雫が、すぐに元の世界に引き戻してくれた。

見なくても解った。

見てはいけないと思った。

それは彼女の目から零れ落ちたもので。


僕も、それからきっと彼女も、知っていた。

月の光がふたりで歩く道を照らすことなど、この先も無いのだということを。


僕が彼女を抱きしめたのは、ただ僕自身を抱きしめたかっただけ。

彼女が僕にくちづけしたのは、それが彼女のプライドだったから。


たぶんこの夜、世界で一番哀しいくちづけをしたふたりだった。








『雫』

        終