と、ひゅるり、あさっての方向へ視線を切り替えた夜くん。
まるで私の姿なんか目にしなかったようにロングコートを翻し、どこかへ行ってしまう。
(…あ、待っ、)
「先輩?」
かけられた新戸くんの言葉にまともな返事を返すこともできず、遠ざかる夜くんの後ろ姿を見つめていた。
「あの人、誰なんですか?」
『いや、あの……』
直球を投げられて、口ごもる。
この状況を夜くんに見られていた、というだけでも動揺してしまうのに、まして“黒川夜”の説明なんて……
いつ訊かれてもそんなの、上手く答えられない。
『それは、その……』
人間じゃないらしいよ、じゃなくて、お隣さん、もまた違うし……
「ふ、先輩はあの人のことが好きなんですね」
『へ、?』
「焦らなくたって、いいですよ?――俺は何も、変わりません」
相変わらず可愛いけれど落ち着いた声で、新戸くんは私を見下ろす。
私が夜くんを好き……?どこでどう、その見解にたどり着いたというのだろう。
(…夜くんを、)
――――スキ?
あの夜のキスの感覚を思い出して、否応なしに頬が染まる。
思えばキスをしたのはいつぶりだっただろう。どんな相手とだってキスだけはしなかった。
それがギリギリの、私の防御ラインで――
(…あの時が、最期だ)
神谷とした、あのキスが。
「先輩、」
『……』
「俺はただの真っ白いシーツじゃないってことだけ、覚えておいてください」
ぐるぐる廻る頭を抱えていれば、新戸くんの穏やかな声が降りかかる。
(…あ、)
その意味を理解する間もなく、彼は踵を返し、ラケットを手にして着替えに走っていった。


