男は、彼女の頬に冷たくなった手を触れて、同じく冷えた唇を重ねる。


唇が重なる直前、彼が言った言葉を忘れる事が出来ずにいた。

誰かに聞かれる事を懸念してか、単に声が冷気で掠れてしまったのか。

彼は、吐息だけで、彼女に告げる。


『オマエは、私のものになる。
そして、私は、オマエのためにある。』


あの瞬間の、男の慈しみの色を、自分は一生忘れないと思う。

今まで出会った男達の誰よりも、魅力的だった。


なにより、言葉を
唇で聴いた事は
初めてだった。


そして、驚き見開いた目に飛び込んできた、男のコートの紋章・・・

数度しか、目にした事はないが、あの独特の形は、水宮を表したものだ。


既に、記憶の中では、ロマンチックな経験に変化している一件は、現実には厳しいものだ。

民話の様に幸福な最後が迎えられぬ事を、彼女はよくわかっている。

このまま、
何もなかった様に
終わればいいのに。


そうも、いきそうに無いことに、彼女は不安に感じていた。