そんな時雨に気付いた原田は口を開いた。
「御陵衛士ってのはな――――……」
元治元年十月二十七日、新選組に伊東甲子太郎らが入隊した。
しかし伊東甲子太郎は勤王攘夷の思想であった。
勿論、会津お抱え幕府寄りの新選組は佐幕の思想である。
そのため思想の違いにより新選組と袂を分かち、伊東甲子太郎は慶応三年三月十日、新選組を離脱した。
その理由は一応、孝明天皇の御陵守護の任を拝命した事と、薩摩、長州の動向を探るという事になっている。
離反する際、藤堂平助、斎藤一を始めとする新選組隊士を十四名を引き連れていったのだ。
伊東を入れた、離反した十五名で結成されたのが“御陵衛士”である。
それに伴い、新選組と御陵衛士の行き来は禁じられたのだ。
「――つまり、平助とは会うことができねぇんだ。」
ここまで説明した原田は些か悲しそうだった。
(――あの人は大丈夫なのか……?)
と時雨の頭にはある人物の事が過ぎったが、すぐにそれを打ち消した。



