その件についての密会が池田屋か四国屋で行われるという情報を手に入れた新選組は、会津藩と桑名藩に応援を要請したのだった。


しかし、一向に動こうとしないためやむを得ず、近藤隊十名、土方隊二十四名で出動したのだ。


そして、当たりだった池田屋には十名で奮闘し、その後土方隊も池田屋に合流し、今に至るのだった。



「――今中に入るのは止めた方が身のためですぞ?如何せん血の気の多い奴らだ。気が立っている今、中に入ると斬られるやもしれぬ。」



会津や桑名藩が池田屋に着いたのは、戦いが終わってからだった。


今池田屋に入られると新選組の功績は消され、会津や桑名藩に横取りされると土方は思ったのだ。


だから土方は池田屋には入らず、入り口で誰も入れないように立ちふさがっていたのだった。