「そうね、お父さんだったかもしれないわ」 倉吉の言い方は、三船先生をゼロのお父さんだとでっち上げ、その場かぎりの嘘をついた罪など、どうってことないというような性質(たち)の悪さを自ら醸し出している。 病的なもので記憶が混同し、嘘をついた訳じゃない。 「おまえには本当に呆れる」 自然と愛想が尽きた言葉が出る。 「絵日記を見たのなら、自分が仕出かした過ちは思い出した?」 「過ち?おれがか?」 「他に誰がいるのよ」