「いらっしゃいませ」



久しぶりに訪れたバーではマスターが穏やかな顔をして出迎えてくれた。


定位置のカウンター奥の席は空いていて、迷わず腰を下ろす。


煙草を壁に寄せて置くと、マスターに声を掛けた。



「今日で仕事辞めたの」



マスターは穏やかな微笑みのまま頷いてくれた。



――あれから拓海との話し合いは平行線を辿ったまま。



ただ、退職届は受け取ってくれた。


数日後、真央から『受理された』とメールで連絡があった。


末日の今日付けで退職の形となった。


結局、事務所へ顔を出す事も挨拶する事もなく、少しだけ後ろ髪を引かれる思いだったけど……


拓海にかけてしまった迷惑を考えるとこれでよかったんだと思えた。