世界を敵にまわしても



ホールを出てすぐ近くにあったソファーに先生を座らせて、あたしは医務室の有無を確認しに行く。


けれどそういったものは無くて、あたしは仕方なく先生の元へ戻った。



「大丈夫?」


声を掛けても先生は椅子に座って俯いたまま動かない。


口元を抑えてるけど、吐きそうなんだろうか。明るい照明が当たっても、顔色も良くは見えない。


「……吐きそう?」

「いや……ゴメン、平気。ちょっと、気持ち悪くなって……」


ゴホッと咳き込んで、先生は椅子の背もたれに体を預けた。


やっぱり、具合悪そう。演奏中に気持ち悪くなったのかな……。


腕時計を見ると休憩時間が半分過ぎた頃で、外に出ていたお客さんも除々にホール内へ戻っていく。


「お茶とか買って来た方が良かったね。今買ってくるからちょっと待っ……」


先生が前に立つあたしの手を掴んで、緩く首を振った。


「大丈夫、ゴメン……まだ1曲残ってたのに」

「……謝んなくていいよ」


そう言うと先生は弱々しく微笑んで、あたしの手を掴んだまま腰を上げる。


「ちょっ、座ってなよ。まだ顔色悪いってば」

「外、行こう。ちょっと空気が……」


空気と言いながら鼻では無く耳を抑える先生に、音が嫌なんだと思った。


先生は繋いだままの手を引いて歩き出し、あたしは黙ってそれについて行った。


ピアノ協奏曲を聴かせてしまったことを、激しく後悔しながら。