平気ならいいんだけど、なんだかな。
……何かまた、モヤモヤしてきた。早く演奏、聴きたいな。
腕時計を見ると、あと10分もしない内に開演だ。
「ショパンの他には? 誰が好きなの?」
胸の奥に広がるモヤモヤをはらうように尋ねると、先生はパンフレットに落としていた視線をあたしに向ける。
「ベートーヴェンの三大ピアノソナタが好きかな。第8番悲愴、第14番月光、第23番熱情……知ってる?」
いえ、全然。
そう目で訴えると、先生はクスッと笑ってパンフレットを閉じた。
「まぁ、三大ソナタの中では月光がいちばん好きだけどね」
「……へぇ」
月光という響きに自分の名前を重ねながらも素っ気なく答えると、先生は口の端を上げてあたしの顔を覗きこむ。
「今ちょっとドキッとしたでしょ」
「したって言ってほしいんでしょ」
たまにはあたしが意地悪になろうと思ったのに、先生が「うん」と即答するから口をつぐんでしまった。
「ね、した?」
何がそんなに嬉しいのよ……。
「わざと言ったんでしょ」
「まぁね。でも本当に月光がいちばん好きだよ。幻想的で切なげで」
「ふぅん……」
今度弾いて聴かせてと、言いたくなった。
でも授業で歌う合唱曲も思うように弾けない先生に、その言葉はあまりにも酷に思えて。
家に帰ったら兄のパソコンを借りて探してみようと、ぼんやり思った。



