アリスズc


 エンチェルクは、本当はテルの従者になる気などなかった。

 ウメに頼まれなければ、決して首を縦に振ることはなかっただろう。

 彼女は、とてもずるい。

 どうすれば、エンチェルクが断れないかを知っているのだ。

 各地の状況を、自分に見てきて欲しいと。

 何が足りて、何が足りていないのか。

 ウメ自身では、見に行くことが出来ないから、と。

『あなたたちがいない二年の間、私は休息していましょう』

 キクとその夫のところに、世話になっていてもいいとまで言われては、エンチェルクには断ることは出来なかった。

 一生。

 一生、ウメの心配をして生きていくと決めていた。

 主が結婚していないのに、自分の結婚など考えることは出来なかった。

 浮いた話がなかったわけではない。

 道場に通っていたキクの弟子の兵士から、求婚されたこともあったのだ。

 だが、エンチェルクは首を横に振った。

 大事なものが出来るのが、怖かった。

 その大事なものと、ウメを天秤に載せるのがいやだったのだ。

 夫が。

 子供が。

 ウメと天秤にかけて、どちらに傾いたとしても、それは自分を深く傷つけるだろう。

 そう考えると、彼女は結婚という選択肢を選ぶことは出来なかった。

 しかし、エンチェルクは一人ではない。

 ウメもいる。

 愛らしいモモもいる。

 何ひとつ、不満なことなどなかった。

 だが、エンチェルクには仕事が出来た。

 ウメから二年ほど離れて、旅をする仕事だ。

 彼女の代わりに、全てをこの目に焼き付けて帰ろう。

 自分には、そう誓うしか出来ることはない。

 ああ。

 ああ、でも。

 ウメを心配することが、骨の髄までしみついているエンチェルクにとって、彼女なしの生活をすることには不安が山積みだった。

 四十路も目の前の女だというのに──他の生き方を忘れてしまっていたのだ。