この時、俺は

天狗の身となって初めて、いつでも冷静であろうとした己を失った。




腕の中で今まさに息絶えんとする娘を見下ろし、

百年以上の時を生きてきて、感じたことのない思いが胸に広がって


「死ぬな──鈴」


理性も、誇りも、掟も、

何もかもを捨てて俺は、愚かにも消えかけたこの小さな命を救おうとした。


己の体を巡る神通力の元である──「それ」を口に集めて、

俺は血に濡れた娘の唇に、禁忌を犯す口づけを落とした。








鈴華の傷口がぼんやりと光を放ち、傷口が復元されてゆく。

周囲の元素を集め、直ちに流れ出た血液と同じ成分が作られ補われ、頬が血の気を取り戻してゆく。


「何という真似をなされた……!」

報せを受けてその場に駆けつけた俺のしもべの烏天狗は、光を放ちながら勝手に治療されてゆく人間の娘と、座り込んでその体を腕に抱いたまま黙って見下ろしている俺とを見比べて、全身の羽が抜け落ちんばかりに仰天し、くちばしが外れんばかりに驚愕した。

実際には羽も抜け落ちず、くちばしが外れることなど有り得なかったが。


「朔太郎様、あなたはご自分の神通力の元である──大天狗用の肉体維持ナノマシンを、人間の娘の体に入れなさったのか……!」


烏天狗は俺が鈴華に対して行った所業を即座に目の前の光景から読みとって口に──否、くちばしに乗せ、信じられぬとばかりに金色の猛禽の目玉をくりくりと動かし、取り出して磨いて再び眼窩に戻さんばかりに目を疑っている様子だった。

無論、実際には目玉を取り出すような真似もしなかったが。


「このナノマシンは一度体に入れてしまえば体内の細胞、元素と融合し、完全に分離することがどれだけ面倒になるか──わかっておられるのか!

しかも我ら烏天狗用のナノマシンと違って、言葉による一時的活動停止も受け付けない」


真っ黒なくちばしは泡を飛ばして騒ぎ立てた。


「つまりあなたは! この娘を肉体的に大天狗にしてしまわれたのだぞ!」