冬の寒さをとうに過ぎて、シングルベッドで抱かれる時間を気にし始めたら、
(そろそろ寝ないと、明日遅刻しちゃうなぁ)
揺れるベッドの上でそんなセリフが思い浮かんでしまうだろう、サイン。
腕枕より、低反発枕の方がよくなったり。
シングルベッドの“ふたつめ”が欲しくなったり。
ペディキュアという単語をすっかり忘れて、マニキュアの色も“新色”が久しくなくなったり。
何気なくつけた改変期前のすっかり興味の失せた月9のドラマをぼんやりと眺めながら、
(私の方が、演技うまいわねぇ)
そんなことを、思う。
でもそれはたぶん、悪いことじゃない。
恋は、恋というのは“あつい”ものだから。
日常よりもずっと温度が高いものだから。
燃え上がれば燃え上がるほど、ほんの少し温度が下がっただけでまるで“冷めた”ように感じてしまう。
本当はそうではなくて。
それは、冷めたのではなくて。
日常の温度に近付いただけで、やはりまだあたたかいはずなのだ。
そのことに気付けず、
(もう愛してないのかな)
そう錯覚してしまうと、もう無理で。
今度は錯覚した温度と今の温度が近付いていき、本当に冷めてしまう。
引きずられてしまう。
もっとも、そのことに気付ける人はそう多くない。
盲目的な恋をしていた人ほど、どうもその傾向が強い。
どうやってそれを見分けるのか、って?
簡単。
まずひとつ。
昔のアルバムを取り出してみればいい。
そこにある笑顔の温度を、もう一度確かめるのだ。
もし、そのときの笑顔を温かく感じたならまだ彼を愛してる証拠。
もし、そのときの笑顔を馬鹿馬鹿しく感じ、冷めた感情で眺めたなら愛をなくした証拠。


