俺はボタンに指を掛けて携帯を耳に当てる。
向こう側で聞こえる機械のコール音。
三度、四度、五度目のコールで先輩が出た。
ちょい慌てた声音で『空か?』、俺は笑って「遅いっすよ」、昼間の仕返しをしてやる。
少し決まり悪そうに唸って先輩は髪を乾かしていたんだと弁解。
もっと弄ってやっても良かったけど、仕返しの仕返しが怖かったから何も言わないでおく。
『どうしたんだ? 空からだなんて珍しいな』
嬉々の含む声音に一笑して、俺は率直に伝える。
ムショーに声が聞きたくなったんっす、と。
これまた珍しい、先輩は笑声を漏らす。
いいじゃないっすか、俺だってそういう気分になるんっすよ。
だって俺は、ねえ、先輩……俺は。
「先輩。俺っすね」
『ん? なんだ?』
貴方のこと好きなんっす、大好きなんっす。
攻め女に落ちちまった、どーしょうもない受け男なんっす。
出掛かった言葉を呑み込んで俺は、別の言葉を探して探してさがして、誰にも聞こえない声でポツリ。
「今すぐ先輩に会いたい」
胡坐から体操座りに態勢を変えて、俺は抱えている膝に頭を乗せた。
どうしよう、ムショーに会いたいじゃないっすか。
先輩のせいで、いつも攻め倒してくれる先輩のせいで、貴方のことがすっげぇ恋しい。
先輩に会いたい。
俺の我が儘聞いてくれるなら、公開ちゅーしてくれたって構わない。お姫様抱っこも、百歩譲って許す。女装は内容によってはやってもいい。セックスはノーっすけど。
馬鹿みたいに俺、今、先輩に会いたい。情けない顔をしちまうくらい、先輩に会いたい。
『空……何かあったのか?』
「何もないっすよ、ただ人肌恋しいだけです」
軽く自嘲を漏らして俺は言葉を繰り返した。
人肌が、人肌がちょっと恋しいだけ。
付け加えて、ちょいと寂しがり屋さんになっているかもしれない、と冗談をかましてやった。
『空、大丈夫なのか?』
名前を呼ばれるだけで安堵する。嬉しくなる。笑っちまう。
「もちっすよ。今だけっす、寂しがり屋さんは」
明日にはきっと、元の俺に戻っている。
嗚呼、こうやって何気ない日常が凄く俺にとって癒された気分になる。
そう思わないといけないんだ。
だってそれが今の両親の望むことだから。
そうだろ? 父さん母さん。
向こうにいる父さん母さんだって、きっと同じことを思っている筈。はずなんだ
「どうした。久仁子」
居間側の敷布団の上で、ぼんやりとテレビを観ていた久仁子は夫の裕作に声を掛けられ、ふっと我に返る。
なんでもないですよ、と微苦笑を零すが向こうには嘘がお見通しだったようだ。
肩を竦めて隣に腰を下ろしてくる。
暫し口を閉ざしていた久仁子だったが、観念して自分の枕したから一通の茶封筒を取り出した。
それは息子の制服下に落ちていたもの。多分ズボンのポケットに入れていたのだろう。
箪笥に仕舞っていた筈の手紙を裏返し、記載されている差出人の名はボールペンで“豊福 由梨絵”。
あの子の実母の名だった。