†Bloody Cross†



開け放たれた窓から流れこむ風からは草花の香りがして、状況と心情に相反した穏やかな気持ちをもたらそうとする。わたしがもってはならない感情。わたしは殺伐とした不安と焦燥と恐怖、悲哀しかもってはならないのだ。安楽や平穏は、頑丈な南京錠のなされた強固な箱にしまい込まれたまま。わたしが二度と手に入れられないように、と。

「……やっぱり、綺麗だ」

「……黒羽さん?」

「俺は……、初めて会った蒼が、ひとりの俺を仲間にしてくれたあの時の笑顔が好きで、……闇に紛れる黒じゃなくて、俺を照らしてくれたあの時の銀が好きなんだ、きっと。だから、お嬢さんが好きじゃなくても、その分、それ以上に俺が、その銀髪も、お嬢さんも愛してやろう、って決めたんだ」

「……え?」

普段の姿に戻ったわたしをじっと見つめたかと思うと、黒羽さんが唐突にそんなことを言い始めた。先ほどまであんなに可愛らしいと思っていた黒羽さんが、男の目をして、口数の少ないはずの彼が饒舌に甘言を口にしている。大人というのはずるい。突然吹っ切れたような顔をすると、先刻までとは全く違う顔で、大人の色気全開で笑うんだもの。ほんとうにずるい。

「……どうしたの、突然」

「なんとなく今言っとかねえと、って思ってな。まあ、昔から思ってたことだが」

「そう、なの……?」

「ああ」

動揺してしまう。もう既に近くまで来ている怪しい影にも気を配らなければいけないのに、目の前の出来事に気をとられてしまう。おもむろに立ち上がった彼の流れるような動作が、獰猛な肉食獣、黒豹を思わせる。ぎらり、とグレーが輝いた。


* * *


視界にうつり得るすべての物も人間も草木も、風という自然現象ですら止まっているのではないかと感じてしまう。事実、この状況の元凶が分からない以上、その可能性も否定できないが。

「……なんなんだよ」

彼方が転校生としてどのクラスに属することになったのかは知らないが、こんな異様な状況下で廊下に出て来ていないのを見ると、その他大勢のようになっているのだろうか。……あの彼方が?俺が動けるのにあいつが動けないなんてこと、あるはずがない。そう考えてみると。

「……何処行ったんだ」

思わずため息がこぼれる。
誰もいない廊下、気配のない教室、風の吹き込まない開け放たれた窓。こんなふうに時が止まっているのを見るのはもちろん初めてだが、退屈で不気味だ。他の者たちと違う時間を生きている、ただそれだけのことに背筋に薄ら寒いものを感じる。この現象を起こした張本人は、何を思ってこんなことをしたのか。風景を、情景を。どれだけ見て、感じても少しも理解できないまま、時は過ぎ。

「……?」

しばらく何処へとも考えずに歩いていると、ふと複数の動く気配を感じた。