アリスズ

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 しかし、文のことを彼女に問いかける気には、ならなかった。

 キクは、言葉にするものはきちんと取捨選択する。

 文のことをたとえ知っていたとしても、それは言うことではない。

 そう彼女が思っているのならば、それでいいではないか。

 代わりに。

 自分の腕が、動きかける。

 だが、止まる。

 キクに触れようと思った時、どこに触れたらいいか分からない。

 酔っている時は、腕を取ることなど簡単だったのだが。

 こうして、まっすぐに立っている彼女には、あるべき隙がないのだ。

 拒絶されているわけでもなく、殺気だっているわけでもないというのに。

 出しかけた手のやり場を決められず、ダイがそれを戻そうとしたら、手首をキクに掴まれた。

「壊れものじゃないぞ、私は」

 困った目。

 ダイは、もっと困った目をしていたかもしれない。

 とりあえず、引っ張られた手は、キクの肩に乗せられた。

 布ごしにゆるやかに、彼女の体温が伝わってくる。

 もう片方の手も、キクの肩に乗せてみる。

 あたたかい。

「………」

「………」

 そのまま。

 奇妙な時間と、沈黙が流れた。

 キクが、こらえきれないようにぷっと吹き出す。

「何、満足そうな顔してるんだ」

 両肩の手も気にせず、彼女は二歩ほど踏み込んでくる。

 元々、すぐそこにいたのに、二歩踏み込まれると。

 彼女の身体が、本当にすぐそこにある。

 肩に乗せていた手は、近くなりすぎて離さざるを得なくなり、彼女の頭の後ろで、ゆくあてもなく浮かせているしかない。

「その腕で…」

 キクが、自分を見上げてくる。

「抱きしめてくれよ」

 腕が。

 鍬と剣しか握ったことのない腕が。

 彼女を抱きしめる。

 あたたかい。

 そして──自分とは違う匂いがした。