アリスズ


 トーは、初めて来た町の裏路地を歩く。

 菊は、都の散策も兼ねて、彼の後を追って歩いていた。

 ダイは消え、代わりに兵士がついてきている。

 所在だけは、押さえておこうというところか。

 そして、ダイ自身は、宮殿に報告に行って叱られているのだろう。

 彼らを、まっすぐ連れてこなかったことについて。

 トーは、小さな歌を口ずさみながら。

 淀んだ空気を動かすように、そこにたまる何か悪い物を一緒に吹き流すように、呪文のように歌を寄り添わせるのだ。

 光が大きいと、影もまた大きい。

 この国の都というだけあって、町の規模は大きく、人もたくさん住んでいる。

 その分、不遇な者も多いのだ。

 不遇な者たちは、日蔭の部分に集まってくる。

「おや…もう夜かい?」

 ぼろの服をまとった老婆が、足を止めた。

 その両のまなこは白く濁り、もはやほとんど何も映してはいないだろう。

「夜風の歌を歌っている」

 舌を、2枚持っているのかと疑いたくなる。

 トーがそう語る間にも、歌は途切れないのだ。

「そうかい…もう夜になったかと思ったじゃないか…ああでも、本当に涼しいねぇ」

 老婆の表情が、幸せそうに緩む。

 トーは、歌を変えた。

 老婆にだけ聞こえるように、囁くように歌い始める。

 一瞬。

 この路地が、寺院になったかのような錯覚を覚えた。

 あの静謐さが、トーの囁きの中から生まれたのだ。

「ああ、そう…もうすぐなんだね。大丈夫だよ…私には残していくものは何もないからね…」

 歌声は、老婆にとっては違うものに聞こえたのだろうか。

 濁った瞳で、空を見上げる。

「それより、さっきの歌を歌っておくれ…暑いのはこたえるんだよ」

 老婆の要求に、トーは──微笑んだ。

 歌は戻り、彼はまた歩き始める。

 無欲だから、タチが悪いのだろうな。

 そんな彼を見て、イデアメリトスの苦悩を、ほんのちょっとだけ菊は理解した気がした。