アリスズ


「ア…ディマ」

 信じられない声で、景子は彼を呼んだ。

 空気の塊が、ひとつ大きな抵抗の後、自分の口から吐き出される。

 ああ、と。

 刺されていないと分かってはいたのに、こうして無事な姿を見た途端、心底安堵した自分がいたのだ。

 高級な訪問者に、驚き戸惑っているネイディは、慌てたように部屋の端に逃げてゆく。

「大丈夫かい? ケイコ」

 アディマは、鎮痛な瞳を彼女に向けてくる。

 その瞳の深い翳りは、きっと事件のせいなのだろう。

 あああああ。

 恥ずかしさが、全身に押し寄せる。

 彼は、景子になどにかかずらっている暇などないのだ。

 自分は何をしているのか。

 余計に、心配を増やしてしまっただけではないか。

 景子は。

 急いでソファから足を下ろす。

 そして、すっくと立ち上がろうとした。

 のに。

 かくんっと、膝が崩れそうになるではないか。

 慌てて何かに捕まろうとして、そのままソファに逆戻りしてしまう。

「ケイコ!」

 近づこうとするアディマを、彼女は何とか手を持ち上げて止める。

「だ、大丈夫! 私は大丈夫だから…」

 大丈夫じゃないのは、アディマだし、ダイだ。

 情けない自分を、景子は心底恥ずかしく思った。

 そんな彼が。

 薄く、薄く微笑んだ。

「ダイエルファンなら…大丈夫だよ」

 その言葉を。

 景子は、全身で噛み締めた。

 何も考えられなかったし、何も言葉に出来なかった。

 ただただ。

 涙が出た。

「何もかも…大丈夫だよ」

 側に近づいてきたアディマが、優しく頭を抱いてくれる影で、景子はぼたぼたと涙を落とすので精一杯だった。