アリスズ


 血と脂を払いのけ、菊は無心で斬り続けた。

 定兼は、本当に素晴らしい刀だ。

 普通の刀なら、もうとっくに切れ味は落ち、ただの鈍器に過ぎなかっただろう。

 定兼は、いまだ定兼のまま。

 それが、この上なく嬉しかった。

 気付いたら。

 立っているのは、二人ぼっち。

 ああ、母上に叱られる。

 返り血にまみれた姿で、菊はそんなことを考えた。

 同時に、その母上とやらと、次にいつ再会できるか分からないのだと、理解したのだ。

 同じほど、血にまみれた男が、ゆっくりと菊に近づいてくる。

 彼は息を整えながらも、菊をしげしげと見た。

 疲れたな。

 だが、彼女の意識は少し違う方向にある。

 死地の線を踏むほど、父と打ち合ったことがある。

 その時ほどの疲労が、どっと菊を襲ってきたのだ。

 しかし、とにかく定兼を清めてやらなければならなかった。

 このまま鞘に戻すのは、もっての他に思えたのである。

 懐から、懐紙を出す。

 死体の転がる草原に、膝をつく。

「―――」

 男が、何か語りかけてくるが、いまは定兼の方が先だった。

 懐紙を替え、また替える。

 定兼の身を、そうして拭き上げた。

 それで、満足したわけではない。

 しかし、今できることとしては、これが精一杯であることもまた分かっていた。

 ふう。

 息を吐いた後に立ち上がり、菊は定兼を鞘へと戻した。

 そして、ようやく男を見上げるのだ。

「待たせて済まない」

 さあ戻ろうと、菊が足を踏み出そうとしたら。

 男に肩を捕まれそうになる。

 気配に気づいて飛び退くと、彼は困った顔をしていた。

 大きな手が、自分自身を指す。

「ダイエル…」

 本当は、もっと長かった。

 菊に聞き取れたのが、そこまでだっただけ。

 どうやら、名乗っているようだ。

「ダイ?」

 それだけ返すと──男は少し笑った。