男は煙草を片手に襖を開けると、廊下にでる。

木目の廊下を渡り、階段を降り始めた。

と、途中で煙草の先端に溜まっていた灰が、ポトリと落ちた。

しまった、というように目で追うが、わざわざ濡れ布巾を持ってくるのも面倒臭い。

その内、ちょっとした空気の流れでもあれば、消えて無くなるだろうと放っておいた。

男は一人で暮らすようになり、炊事洗濯は自然とこなせるようになっていた。

しかし、掃除だけはどうしても手につかない。

来客があったときのため一階の居間だけはほどほどに綺麗にしているが、自分しか足を踏み入れない二階部分は、まだ一度たりとも掃除していない。

それで困ることなど何もないのだから、別にいいのである。

階段を降り、キッチンへ向かった男はいつも通り、コーヒーを飲もうとやかんを火にかける。

ふと、妻と子がでていって、何が変わっただろうと思った。

炊事洗濯をするようになり、生活のリズムが安定し、朝は自分一人で起きられるようになった。

でて行かれた直後はともかく、今は不便に思うことなど何もない。

ただ家の中はガランとし、代わりに寂しさが満ちている。

ああ、それから――

満ちていると言えばもう一つ。

ところ構わず吸っているため、家の中は煙草の香りに満ちているだろう。

極端に煙草嫌いだった妻がもし戻ってきたとしたら、この惨状になんと言うか――。

男はつい綻んでしまった口元を、慌てて引き締めた。

誤魔化すようにもう一本煙草を取り出し、コンロの火を移す。

深く、肺いっぱいに煙を吸い込み、そして吐きだした。

ああ、孤独だ――

と思った。