「……この部屋はね。この707号室は、本当は旭さんと颯輔さんと凪が住む予定だったんだ」
叶わなかったけどね。そう彗は呟いて、哀しそうに微笑む。
きっとあのキッチンに、幸せそうな凪たち3人家族を思い浮かべた。だからそんなに、哀しい笑みしかできないのか。
……だったら俺たち4人を思い浮かべればいいのに、彗の表情は喋るたびに暗く、寂しそうになっていく。
「……旭さんはね、シングルマザーとしてちゃんと自立したかったんだって。自分が父子家庭だったこともあって、父親に迷惑をかけられないって想いと、父親のようになりたいって想いが強くて。父親に頼らずに、生きていく努力をしてた」
表情の割には、はっきりと通る彗の声。それがやけに不釣り合いだった。彗の表情にも、この空気にも。
「颯輔さんはそれを知っていたから、旭さんのことを愛してたから……その役割を、その意思を継ぐのは恋人である自分だと思ったんだって。凪の祖父は、それを承諾したんだ。本当は自分の会社を継いでほしかったんだろうけど。颯輔さんはそれじゃあ旭さんの生き方に反するって、自分で会社を立ち上げたんだ」
一気に話した彗は僅かに息を漏らして、口を噤んだ。
これが、颯輔さんの全てだと言うように。終わりの言葉を、言うために。
「……きっとそんな生き方、颯輔さんにしかできない」
……家族から、周りから、どれだけ蔑まれても。気が狂ってると言われても。颯輔さんは旭さんの生き方を継いだ。愛する人の娘と一緒に、旭さんへの愛を貫いた。
すごいと思うし、ヒカリのようだとも思う。
俺は、ヒカリが好きだった。あの頃唯一、尊敬できる人間だった。もし俺が女だったら、きっとヒカリを好きになってたかもしれない。
憧れとか、尊敬とか、そんなもの抜きにして1番に。ひとりの男として愛したかもしれない。
だから凪の気持ちが分からないわけでもない。
でも。
「サヤって、何? ……凪は最初から、颯輔さんが実の父親じゃないって分かってたのか?」
父親は、父親じゃねぇかよ。



