「あのね、私、帰るところないんだ」



語りかけるような静かな口調。

まるで他人事のように、凪いだ湖面を見つめながら彼女は呟いた。



「───だから帰らない。それだけ」



穏やかな声なのに、何か大きな壁を感じた。

聞くな、と言われているような気がした。

オレはなんと言えばいいかわからず、ただグッと押し黙ってしまう。

その気まずい空気を感じ取ったのか、彼女はふ、と唐突に息を漏らすように微笑んだ。



「なんてね。・・・冗談だよ。困らせてみたかっただけ」



嘘だろ?

本当のこと言ったんだろ?

・・・頭では分かっていたのに、オレは「あぁ」と頷くしかなかった。



「じゃ、今日は私が先に帰ろうかな!」



彼女は明るく言うと立ち上がった。

そして黙りこくるオレを振り返る。

さっきまでは彼女専用のスポットライトだと思っていた月が、
妙に大きく見えてゾッとした。

それを背景にした彼女は、一枚の絵のようで。

同時にどこかに消えてしまいそうで。

「ばいばい」と微笑んだ彼女の顔に、オレの中で警報が響いた。



「ッ・・・おい、待てよ!!」



思わず叫んだ。

けれどオレの声は届かなかった。

颯爽と彼女は走り、闇の中に消えていった。

ざわざわと、風に揺られて木々が鳴る。