後に会津・桑名の応援がやって来たが、手柄を横撮りされてはたまらぬと、鬼の迫力を持って土方は、彼らを池田屋に一歩も近づけさせなかった。



時は元治元年六月五日。


浪士二十名程に対し、凄まじい戦闘の中に立った最初の隊士は十名。



新選組は死者一名、重傷者三名。



この人数が多いか少ないかは、彼らの心の中に止まる思いそれぞれである。




新選組は怪我人の処置と、浪士の調査、そして夜分では浪士に闇討ちをかけられるかもしれないことから

夜が明けるまで、その場にて暫しの休息を取り

翌日の正午に、屯所へと帰隊した。


一列になって歩く、血に濡れた狼たちの行列を見ようと、村人たちもまた列を作った。


一夜にして、新選組は一躍有名な集団となった。



血と涙に濡れた一夜が明け、彼らは何を見、何を思ったのか。

それは彼らにしか分からぬ事である。




こうして歴史に残る、池田屋事件の幕はおりたのである―――




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