揉めている場合ではないのは確かだった。


この度の芹沢の一件から遡り、これまでの暴挙の数々に朝廷が腰を上げたのだ。


朝廷は芹沢捕獲を、壬生浪士組の直属上司である会津藩に命じた。


そして会津藩主・松平容保はこの命を受け近藤達を呼び寄せた。



芹沢鴨の処罰を密命するために。


それが意味するのは、芹沢の暗殺である。


乱暴狼藉を理由にあげてではあったが、本当は尊皇思想が強い芹沢を恐れたためだった。



芽は小さなうちに刈ってしまえという松平容保の密命が下され、屯所に帰って来てから近藤達はどうしたものかと談義を繰り返していたのだ。


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