恋時雨~恋、ときどき、涙~

健ちゃんは、それでも、無表情だ。


する、とわたしの手をほどいて、健ちゃんが背を向ける。


わたしは、がく然とした。


健ちゃんは、変わってしまった。


今、ここに居るのは、もう、わたしが知っている健ちゃんじゃないんだ……。


分かっている。


昔を思い出してはいけない。


過ぎた時間は、戻せない。


昔の健ちゃんに、今の健ちゃんを重ねたってどうしようもない。


そんな事は、分かっているのに。


真っ黒な革靴が、砂浜を掘るように動き出す。


健ちゃんは振り向く様子もなく、すたすたと歩いて行く。


手のひらに、健ちゃんの感触が痛いほど残った。


嘘だと言って欲しかった。


悪い夢なら覚めて欲しい。


あの健ちゃんが、こんなにも変わってしまったなんて、思ってもみなかった。


遠ざかる大きな背中に、夕日が燦燦と降り注ぐ。


わたしは、呼吸を乱した。


それくらい、心が痛かった。


健ちゃんと出逢った夏のこと、一緒に過ごした切なくて優しかった日々も。


たくさんの想い出が大きな波のように押し寄せて来て、時々、息ができなくなった。


健ちゃんが行ってしまう。


健ちゃん。


あなたはもう、あの頃の健ちゃんじゃないんだね。


もう、わたしの手の届かない、誰も知らないところに行ってしまったんだね。


同じ、この空の下で、わたしたちは、生きているはずなのに。


もう、わたしを見てはくれないんだね。


これが、わたしたちの答えなのですね。


もう、本当に、忘れよう。


消す事はできない大切な過去だから、だから、せめて。


もう、本当に、忘れなければ。


そう思った時、わたしは息を飲んだ。