恋時雨~恋、ときどき、涙~

精一杯の手話をした後、わたしはメイクポーチを投げ返した。


メイクポーチは、順也の顔面を直撃した。


鼻の頭を押えながら、眉間にしわを作って、順也が痛みに耐えていた。


もちろん、順也も反撃してくるものだと思っていた。


「……真央」


だけど、やり返してこなかった。


困った顔をしていた。


〈本当はずっと、この町に居たかった! 順也と静奈と、一緒に大人になりたかった!〉


短大を卒業して、小さな小さな仕事でいいから、就職先を見つけて。


休日は、静奈と一緒に、順也のバスケットの応援に行って。


一緒に笑っていたかった。


それに。


〈別れたくなかった! 健ちゃんとずっと、あのアパートで暮らしていたかった!〉


特別な幸せなんていらないから。


ごくごく平凡で、ありきたりでいい。


変わり映えのない、つまらない毎日で良かった。


〈健ちゃんの隣に居たかった〉


高級なイタリアンも、人気のフレンチも、話題の中華も食べなくていい。


〈小さな、狭いテーブルで〉


ほかほかじゃなくても、冷えてしまったごはんに、お新香と。


お出汁がきいていない、きじょっぱいお味噌でもいいから。


会話なんていらないから。


〈向かい合っていたかった〉


ずっと、健ちゃんと一緒に生きていたかった。


〈健ちゃんを想う気持ちは、本物だった〉


ひとつ、ふたつ……と気持ちを両手に出すと、ぽろぽろ、我慢してきた3年分の感情が涙と一緒に外へ出て、


〈3年前のわたしは、世界でいちばん、幸せな女の子だった〉


今度は、あふれて止まらなくなった。


〈でも、今は違う〉


我慢していた想いがたっぷり溶け込んだ涙が頬を伝い、両手に落ちて行く。